日本語ボランティアのメンバーの一人に、大変エネルギッシュな人がいる。
彼女は、生徒たちのニーズに対し、
私たちの会の対応が、不十分であることに悩んでいた。
彼女はついに脱退して、自分で、もっとニーズにあったボランティアの会をたちあげた。
私をはじめ、まわりの仲間も相談にはのっていたが、
重責を負ってまで、やる気になる人はいない。
仕事ではない、ボランティアだもの。
必要なときには休むことができ、辞めようと思えばいつでも辞められるので、
参加している人がほとんどだ。
私も、第一には自分が元気になるために、そして確かに元気をもらえるのでやっている。
ボランティアとはいえ手は抜かず、高いベルのレッスンを目指して勉強もしている。
生徒もかわいいし、日本文化や海外の話もおもしろい。
ただ、「これだ!」とまでは思えない。
その人は、全力で、同時にレベルの異なる複数の人を、曜日を問わず教え、
多くの生徒を資格試験に合格させている。
役に立つこと、教えることがうれしくてたまらない様子だ。
教えるアイデアも的確で、大変上手に教える。
彼女は、ついにやりがいを「みつけた」のだ。
家庭の責任も果たし終わり、自由な時間の中で、海外からの将来ある若者を手助けする
喜び溢れるやりがいをみつけたのだ。
毎回、やってよかったナと晴れ晴れと思うとはいえ、
私は、そこまでのやりがいは感じられない。
「見つかって、うらやましいわ」と伝えた。
新たに誕生した、たった一人でスタートする会のホームページを
作ってあげることになった。
作りながら、私はやはり、コンピュータを繰ることのほうが、
ずっと楽しいと思った。
この中で「みつけられ」たらいいなあ。
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子供の時から本棚の中心に並んでいた、大菩薩峠の本。
この本の魅力を、父が熱く語っていたのを思い出す。
同じく話を聞かされたことを懐かしむ従兄に、進呈。 |