2017年10月22日日曜日

選挙と台風

今日は選挙の日。
台風21号、関東に接近中。
選挙と台風のために、文化祭、ある講演、展示会など予定が流れたり
何とかしたり。

現在刻刻と選挙結果が発表されている(午後8時だ)。
台風情報と並行して。
早々と、自民党圧勝、単独で過半数獲得とニュースが流れている。
得票数と、政党当選人数とが比例しないのは、一党独裁が長く続き、
政権政党にすべて有利に規則化されているからだ。

先進国(ニッポンは先進国ではないと思う)の中で、野党が育たないのも、
一党独裁の結果だ。
反感も多い首相を長期間許すのも、一党独裁の結果である。
そういう政治を許すのが、日本国民の民意である。

国を動かすのは、少数の精鋭や、かなりの人数の「考える人々」ではなく、
親類だ知り合いだ先生様だ、応援団だ、と、なれ合い議員を(ちょっとは)敬い、
目の前の小さな利益だけしか見えない、多数の愚か者たちだ。

また、社会の経済面だけを考慮すれば、経営者などは与党支持もあるだろうが、
先進国民ならば、「個」の人権を考えれば、一党独裁は恥ずかしい。

これが日本のレベルである。
地方と大都会人の意識の差も著しい。

野党も策がなさすぎる。
希望の党は野党ではない。自民党どうしの戦いである。
また、野党政権になったとしても、信頼できかねる。
まだ力不足だ。
英国のようにシャドウ内閣を作り、政権を担ったつもりで、政治を行い、
力をつけていって欲しい。
有能な議員の方々が、票の獲得のために、政策以外のことに奔走されるのを
みるのは辛い。
与党と野党が政策を論じ合い、目先の得票のためでなく、
広義の国民の幸せについて論じあう。
その意見を国民が判断して選択する、
そういうレベルの国に・・・なれるかしら?

まだ開票は、はじまったばかり。
予測結果が覆るかも?  そういうことはないか。

台風は深夜から夜明けが山らしい。
避難時のために必要な荷物はまとめた。
元気な一人暮らしなので、気楽だ。どうとでもなる。
嵐の中、投票に大きながばがばカッパをかぶっで出発!





2017年10月14日土曜日

映画 ドリーム

数日前に見た映画が頭から離れない。実話である。
日本題「ドリーム」
このタイトル、不服だ。そんな甘いもんではなかったろう。
原題「Hidden Figures」(直訳 → 隠された人々 )

時代は、1960年代、コンピュータがまだヨチヨチ歩きだった頃だ。
舞台は、米ソの宇宙開発競争まっただ中のNASAである。
主人公は3人の黒人女性。3人とも数学の天才でその頭脳明晰さにより、最上級の教育を受け肩書を持つ。
とはいえ人種差別の残る時代、薄給の臨時雇いで管理職にもなれない。

人工衛星やロケットの離陸および着地には、私には想像もできない高度な数学の計算が必要のようだ。
彼女たちの仕事は、衛星軌道や着地点を計算して割り出すことである。

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******* 以下 映画のストーリーである。それほどのネタはない映画だが、      *******
******* 知らないほうがおもしろいかも。                     *******
******* 読みたくない人は次の「******* 」マークまでパスしてください。      *******
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オフイスも何もかもが、白人と黒人は分かれていた。
白人たちから遠く離れた黒人だけのオフイスにいたのでは(携帯もLineもない時代)
計算のためのやりとりは間に合わない。
そこで主人公の一人は、白人男性だけのオフイスに席が設けられる。
女性は白人の秘書だけだ。
黒人の彼女は同じコーヒーポットも使えず、トイレも遠くにある黒人専用に行かなければならない。
やがて、彼女の迅速な計算がなければ有人衛星の打ち上げができなくなり、
国家機密会議にも出席が必要になる。
白人女性さえも出席していない時代、女性プラス黒人の彼女は
目立たないようにひっそりと小型計算機(上級電卓のようなもの)を手に出席するのである。
そして会議の中心問題、着地地点の軌道を決めて宇宙飛行士を救出すること、は彼女の計算結果、
つまり彼女の力量にゆだねられるのだ。
実際はこの映画よりはずっと困難だったと思うが、やがて功績が認められて差別が薄れてゆく。

コンピュータがヨチヨチ動き出した時代。
いずれ彼女たちに代わり、コンピュータが計算を担うだろうと予測できた時代である。
別の主人公は、白人専用の図書館に潜り込み、Fortranというコンピュータ言語の本を入手する。
天才の彼女にとって、プログラミング言語の習得は簡単なことだった。
そして計算室の(colored computer という部屋で多くの優秀な黒人女性が計算に携わっている)
女性たちにコンピュータ言語を教え始める。

もう一人の女性は、NASAで最初の女性技術者になる。

IBMコンピュータが稼働を開始する。
しかし、IBMの技術者たちも、まだよく稼働できない上に計算ミスもある。
それを助けるのが彼女たちである。
やがて彼女たちが、NASAのコンピュータを担うことになるのだった。
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******* 以上 映画のストーリー終了                      *******
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彼女たちの年齢は、私の母親とほぼ同じだ。
そしてこの映画の舞台となった年代(宇宙開発競争時代)は私が大学生から社会人になる少し前の時代だ。
夜明けに家中で起きて、帰還宇宙船が無事回収できるか、祈りながらテレビ中継を見守ったっけ。
米国の宇宙挑戦は進み、やがて月面到着に至る。
月面に到着した宇宙飛行士3人は世界中を凱旋した。
東京で行われたパレードをすぐ近くで見た!
日に焼けて精悍だなあと思った(身長180センチ以上の白人男性しか選ばれなかった)。
アメリカ大使館近くのビルには「Welcome Astronauts」の垂れ幕がひるがえり、大騒ぎだった。

その陰に、こういう人たちが「隠されて」存在していたのね。
自分が行った計算結果の報告書の隅に、名前さえ載せられない、削られてしまう。
私の身のまわりでも、過去に似たことはあったし、今もあるでしょうが。
  二重差別 … 私は女性であり、そのうえ黒人である
米国のフェミニスト アリス・ウォーカーの言葉を何度も思い出した。

NASAのオフイスは、人々は、学卒の私が入社した外資系(米国)のコンピュータ会社を思い出させた。
男性の中に一人、同じ職種に携わるというのも、その後の私の社会人人生で多々経験したことだ。
そこから、自分の社会人としての色々を思い出した。
映画の中で「Work like dog」という言葉が聞こえたこともあったかもしれない。
入社したとき、「女性らしくあれ、でも仕事は犬のように働け」と言われた。
半分ぼんやりしながらも、みな「やる気」だった。幸せだった。

やがて社会人としての実力がつき、ある年齢になると、男性のライバルとなる。
どの男性も追いつけないくらい、超超超頭脳優秀ならまた別だろうが、そうでなければ、
おだやかに体制を受け入れ、出っ張らなければ、昇進はしないが暖かく扱われる。
ま、あまりやる気にはならないわね!
そこをうまくやるのが能力ではある。
差別だと心をとがらせるのは無意味。女は女のやり方で。
人生の最終目標は、幸せな結婚生活なのだから。それ以外は不幸、大変だ。

日本はまだそういう時代だった。

色々思い出すが、それはまた別の機会に。

今の若い人の多くは専業主婦だなんだ言っていられないようだ。
食べていくために、お母さんたちも何でもいいから
仕事をしなくては!という時代だ。
仕事の意義とか自立とか考えられたのは、時代にゆとりがあったからかもしれない。
若い諸君、大変ではあるだろうが、頑張ってください。よくはなってきていると思います!

言いたい:
働くということは、自分の仕事を持つということは、素晴らしいことだ。
困難な時もあるけれど、本当に素晴らしいことだ。
若者は、辛くても素晴らしいと思える仕事や職場に出会ってほしい。
大人は、そういう仕事や職場を作ってほしい。
また、人材を見極められ、冷静で社会的な判断のできる大人の女性をもっと多く育ててほしい。

仕事は素晴らしい!
専門知識・専門分野を身に着けよう!
彼女ほど高度でなくても。
それは武器でもある!
「ドリーム」の一場面借用画像
映画「ドリーム」の予告ビデオ
http://www.foxmovies-jp.com/dreammovie/


2017年10月5日木曜日

祝!ノーベル文学賞受賞!

夜遅く外出から戻り、カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞を知った。
私は彼の大フアンだ。
特に「私を忘れないで」を読み終わったときは、言葉がしばらく出なかった。
哀しみ、愛おしさ、命。
この物語を書いているとき、作者はどんな気持ちだったろうかと思うと、
尊敬し胸が熱くなった。
でも、二度と(可能ならば)読みたくはないけれど。

1986年、ロンドンの町を歩いていたら、どこの本屋にも山積みに展示されていたのは
「An Artist of the Floating World」BY KAZUO ISHIGUROの本だった。
表紙は、日本の美しいお盆ちょうちん、白地に桔梗の花の絵。
アジアの片隅から来た私は、世界の大都市ロンドンにまだ慣れていなくて、
なんとなく萎縮していたかもしれない。
そんな中で出会った本、とてもうれしかった。母国が誇らしかった。
今も大切に持っている。

イシグロの作品「日の名残り」は、これぞ英国の心、という作品を日本人が書いた
と話題になった。
でも私は、その心情に国境はないと思った、いい作品だ。
国境のある文学を、私は受け入れられない。理解できないのだ。
村上春樹も、読者に国境はないようだ。
イシグロは、そして村上春樹も、「翻訳」に大変気を使っている。
日本語にしても英語(世界語だ)にしても、味が変わらないように。
日本の他の作家も(世界的な根幹的な視野の作品なら)、
その点が今後の課題かもしれない。

偶然だが、今日村上春樹の最新作「騎士団長殺し」を読み終わったところだった。
彼もノーベル賞候補だったのね?
彼の作品を初めて読んだ。
おもしろかった、楽しかった、とても、とても。
語り口がおもしろい、楽しい。嫌われるのもわかるが、私はOK、好き。
「春樹ワンダーランド」っていう感じ。
書く力量もさすがだと思う。すごい。
時々、英語で書いて日本語に訳したような感じの部分もあった。
それでいい。まったくそれでいいと思う。

でもでも、私は、イシグロの深淵さ、思慮深さのほうに、
大きく大きくおおき~~~く軍配をあげる。
(春樹氏の作品は一作しか読んでいないので、語る資格はないが)
対応も自然でスマートだ。
春樹氏は、へんな愛読者がTVにはしゃいで出てきて、お気の毒だと思う。

お二人ともほぼ同年代。
これからも、楽しみにしていますよ!
当時(1986年)本屋さんに山積されていた本



お盆休み

ちょっとはちゃめちゃな1週間だった。 お盆休みでいろいろなことがお休みになり、 人々の多くは「家族行事」の週だ。 少なくなってはいるが、子供や孫を迎える、 というのが昔ながらのスタンダードな平和風景だ。 特に予定のない私は、絶対に家の整理!絵も描きたい!と思っていたのに、 抜本的...