2018年12月12日水曜日

Charing Cross

伊沙子さん、今日あなたの訃報のお知らせを受けました。

喪中につき新年のご挨拶は失礼させていただきます

あなたが7月に永眠したこと、ご本人の遺志もあり、
葬儀は身内で執り行いました、とのこと。
ご主人の名前が印刷されていました。
はじめて、その存在が確かになったご主人でした。

なかなか信じられなくて、喪中はがきを何度も何度も読み返しました。
はじめて会ったのは、ロンドンのヒースロー空港でしたね。
1986年頃、もう32年も前のことです!
日本からの長旅の後、予約したホテルに行きたいのに、
ストライキで地下鉄がストップしていて、
深夜の飛行場は多くの旅行客が右往左往していました。
タクシー乗り場は長蛇の列でした。
私は個人的に一人で海外に出たのは初めてのことでした。
「どうしたの?大丈夫?」と声をかけてくれたのが、伊沙子さんでした。
「バスは動いているようだから、中心地までバスで行きましょ。中心に出ればタクシーが拾えるわ」
はじめて乗った赤いバスの二階から見下ろすと、街頭の淡い光の中に浮かぶ
ロンドン郊外の家々はおとぎ話の中の絵のようでした。
そんな私を、伊沙子さんは姉のように微笑んで見ていましたね。

一緒に色々イギリスを旅行しましたね。
たくさんお話をしましたね。
あなたは窮屈な日本の生活から逃れるために、時々ロンドンに来ていました。
夫とその家族から逃れるために。
自分を「素に」解放するために。
そしていつか自分だけの家を建てるとおっしゃっていました。
経済的には自立していて、自分の喫茶店をもち、他の仕事もしていました。

その後、あなたは吉祥寺にバーを開くことにしました。
私も一緒に工事現場の視察に行ったりしましたっけ。
ただ、私の仕事は勉強と緊張が必須で時間もなかったので、
入りびたるまではできなかった。
でも、あなたのまわりにはいつもフアンの男性たちが取り囲んでいたから、
いいわよね。
色々な出会いがありましたね!
バーの名前は「チャリング・クロス」。私の案が採用されました。
ロンドンのチャリング・クロス駅からの命名であり、
私の大好きな小説の題名からでもあります。
チャリング・クロス駅は、ちょっと通っていた英語学校のある場所の最寄り駅で、
周辺には劇場や美術館も多く、その界隈を皆でいつも徘徊していたのです。

私が東京を離れてからは、あまり会えなくなりました。
一度、箱根の帰りに寄ってくださいましたね。
私は、色々迷い迷いのトンネルの中にいましたが、
最近、ふっきれてきたことを実感しています。
で、これから会いましょうね、と思っていたのに。
チャリング・クロスはずいぶん前に閉めて、自分の家を建てたんですものね!
そのお家を拝見しに行かれなかった、いつか行くつもりだったのにね。

突然の切断だわ。
本当にすごく働いて、すごく遊ぶ人でしたね。
真面目だった。
私は今、ウイスキーを片手に思い出のベールの中を漂っています。
そろそろ酔いがまわってきたようですので、この辺で。

伊沙子さん、たくさんたくさんありがとうございました。

話せるときに、会える時に、皆に会っておこう、メールでもいい!
そういう年代なんだ、と気が付きました。
みんな~~~、元気でいてね~~~~~!






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