2025年9月29日月曜日

芸術

箱根の美術館に行った。

箱根は湿気がなく、木々の間を空気がサラサラ流れて、

体内が浄化されていく。

ゴッホ展がメインだ。

ゴッホの生涯の物語は、あまりにも有名である。

最近は、海外の芸術家たちの美化された姿を打ち消す、

真実の生活も明らかになっている。

ゴッホはうつ病だった。現代ならもう少しラクだったかもしれない。

ダリの見かけや奇行は妻の演出、実際はコンプレックスの塊だった、など。

そんなことを思いながら、苦しみの中で生まれた天才の作品を鑑賞した。

芸術家とは何だろう。

人間だけが、食べ物、お金、衣食住には直接関係あるわけでない芸術に癒され、芸術家を尊敬する。

絵や音楽、文学、演劇などによって、私たちの魂は喜びに震える。

芸術家は生活苦も承知で、でもそれをせずにはいられない。

ほんの一粒の人が、それを実現できる。

実現できて生活ができても、もてはやされても、その時代のあだ花も多い。

それを承知で、イカロスのように太陽に向かって飛び立つ。

そうせずにはいられない、そして創作の陶酔感と苦しみを味わう。

花開いても、ほとんどが高齢、または死後である。

それもあって、わたしたちは尊敬と憧れを覚えるのだろう。


アザミの花
ゴッホ








2025年9月16日火曜日

ワッショイ ワッショイ 胡蝶蘭

自転車の前の荷台に胡蝶蘭の鉢を乗せ、

街の中を歩いて運んでいるのは、私である。

「見事な胡蝶蘭ですね〜」

「綺麗!」など言われながら。

花に囲まれた知り合いに呼ばれて行ってみると、

6鉢の胡蝶蘭が満開で、私用に1鉢用意されていた。

という事で、丁度敬老の日でもあり、

「幸せが舞い込んできた」気がした。

教えて頂きながら育てていこう。


友人が関係しているという事で、

小田原城の周辺と広場で行われた

エッサホイ踊りという 踊りの祭典を、見に行った。

煌びやかな着物ベースの衣装を纏い、

超元気元気に集団で踊りまくる。

キンキラの大きな扇子を手に、おじさんが歌いまくる。

わっしょいわっしょい、よいやっさー、笛太鼓のお囃子が煽る。

黒澤明監督の「7人の侍」の最後の場面で、

農民たちが笑顔で踊りまくるシーンを思い出した。

日本って明るいのね、いいね👍 

この地の英雄、キンタロちゃんの大旗もひるがえり、

ワッショイ ワッショイがこだましていた。

キンタロちゃん

















2025年9月15日月曜日

その日まで

 人は、年取って経験を積むほど愚かになる

と言う言葉に頷く。

情報も経験も積み重ねず、

シンプルにシンプルに生きて

「生まれた  愛した  死んだ」

これこそ、生きる ということではないかと思う。


Sound of silence  が部屋に響いている。

サイモンとガーハンクル の23歳の時の作品。

彼らは、この曲以上の作品は作れなかったと私は思う。

やがて、仲間割れし …


長生きの尊さとは、何だろう。

動物としての本来の生命時間を、嬉しいことだが、

医学などの力で伸ばされた時間を、空虚な孤独の中で、

凛と頭を上げ、尊厳を保って生きる尊さだと思う。

年齢を重ねてこそ得られるという、知恵、広く深い心を持って。

全ての先輩に敬意を表し、私も頭を上げて生きていきたい。

その日まで。


敬老の日に配布された祝膳
私より高齢の人が届けてくれた。
よく生きた。


2025年9月7日日曜日

掃除洗濯お片付け

酷暑の夏休みで、家にいる日が多かった。
おかげで、以前から先延ばしにしていた、断捨離整理も、
ちょっとは進んだ。
片付けが「完成*終了」という事はもう無理、と気付いた。
雑誌にあるような、ミニマリスト生活に憧れるが、
私には無理だ。
自分に変化を求めると、ストレスになるお年頃になった。

「ちょっと散らかっていて、雑然とはしているけれど
でもお掃除はされている」
ここまででいい。あきらめる。

「あの棚も、もうちょっと片付けたら?」
「色彩の統一を」「物が食器がありすぎ!」などのお言葉は
もう気にしないでおく。

家族がいて、仕事をしながらも家事第一に守ってきた周囲の女性たちは
家をとても綺麗にしている。
雑誌のグラビアのような台所で、美味しいお料理をするのだろう。

「ねえ、自由にいくらでも使えるお金があったら、何に使う?」
10年くらい前、友人の質問に対する私の即答。
「プロのお手伝いさんか、執事のような、私専属の人を雇う」
友人が笑いながら言った。
「やだ〜、そうしたらやる事なくなっちゃうじゃない」

おーそうか。彼女は一日中家事掃除しているのか!
(私が結婚しなかったのは、正解だ)
私は、やりたい事がありすぎて、家事に手が回らなかったのだ。
そういう生活が続き、今では家事慣れしないため、
そして高齢により、さらに動きが鈍くなった。
ちゃんと家事掃除していたら、ほぼそれだけで半日以上が、
いや1日が終わる。
「ぶふ!毎日やっていれば、時間かけずにできるわよ」
叱られた。

ピカピカに掃除された家に行くのは、心地よい。
雑然と、本や新聞、パソコン、飲みかけのお茶が混在する自分の部屋は、
私にはもっと落ち着く。
ま、しょうがない。
焦るのは辞めて、自分の限界の中を心地よいとしよう。
この状態だって、あと何年継続できるかわからないんだもの!
個々の生活、個性と思ってください。

PS あ、でも最近ですが、毎日掃除機かけてますし、
色彩もある程度そろえています。
グラビアインテリアのようではない、という事で。
周りは、天井拭いたりグラビアの様な美!なので。


とても暑い日は、車が懐かしい。
しかし、もう運転は怖い。
どうしているかしら、Mr.G






















2025年9月1日月曜日

進化

 気がつくと、8月は大きな変化の月だったかもしれない。

酷暑と夏休みで外出することが減った。

外出したくないのだ、暑すぎる。


私は第1級の親しい友人を二人、亡くしている。

新たな人との関わりは難しい。

何十年と積み重ねてきた友情は、簡単に築ける事ではない。


老年期ってこういう事なんだ、と今更ながら思う。


いつも若いつもりでいる私への、友人の言葉に大きくうなずく。

「意欲的に前進するだけが進化ではないよ。

自分の体の衰えや老いを受け入れるのも、進化だから」

そうよね!

 

さよなら、夏の日
と言いたいが、今日も熱中注意報。



秋の夜の想い出

深夜、突然ビートルズの曲が聞こえてきた。 身体の周りに、ロンドンのあの街、あの通りが襲ってきた! 雑踏の音、笑い声、匂いまでする。 「去年ね、この前の通りを、ポールが通ったのよ! 授業中だったけれど、皆で飛び出して見に行ったわ」と、 先生の弾んだ声。 私が軽く英語学校へ行きながら...