2017年3月29日水曜日

完全なる個室

一人で車を走らせているときほど、完全に一人になれるとき、集中できるときはない。
一人暮らしとはいえ、家にいるとやらなければならないこと、やりたいことなどが
頭に浮かび、どこか気ぜわしい。

NZに暮らす友人は、疲れると森の中へ車を走らせ、数日過ごす。
ぐっすり眠れて生きかえるのだそうだ。
駐車場に車を停めて、長い時間過ごすのも好きだそうだ。
外からは車中はみえない。
車中からは外がよく見えるので、孤独感もないそうだ。

車は、移動できる個室だ。
車にコーヒーやランチを積み、パソコンを積み、音楽も本も積み、
野外で素敵な時間を過ごすのが夢だ。
それも、静かで、人のあまりいない、安全でかつ洗練された所。
洗練された所というのは、田んぼの空き地とかではなく、
海外にあるような、そのように過ごせるように整った空間という意味だ。
一人のときは何かに集中でき、友人たちと行くときは、楽しいピクニックができる。

あったのです!見つけたのです!それなりに、ですが。 
若い人に聞いてわかった。
家から車で10分足らず、高速道路に入る脇道を下ると、広い砂浜が広がる所。
この地は、何十年も前に、海岸線に高速道路建設を許可し、広大な砂浜を失った。
ばかなことをした、と、多くの人が思っている。

高速道路に入る脇道を下ったそこには、昔と同じ広大な砂浜が広がっていた。
海に向かって車を停められる、おおきなスペース。
その先に、砂浜が続き、そして海がある。
砂浜でボール遊びをしている親子、そのボールにじゃれるとんび。
ここなら、外でお茶を沸かしたり、寝転んだり、なんでもできそう。
10台くらいの車がとまっていたが、皆、静かに海を見ていた。

遠くに行く勇気はまだないが、これを手始めに、まずは近場をもっと探検したい。
車にいろいろ積んで、いい時間をすごそう!

気をつけないと、マギー・スミス主演の英国映画
The Lady in the Van (邦題:ミス・シェパードをお手本に)みたいになっちゃう。
ちょっと違うんですが!

発見できたいい日だった。

なかなか海辺に近づけないくらい広い砂浜

車の中を覗きに来た?鳥
多くの種類の鳥がたわむれている






海に向かって停まっている車たち

2017年3月25日土曜日

NOMO

WBCが終了した。
日本は優勝こそしなかったが、十分満足できる、すばらしい試合を見せてくれた。

日本で全勝を果たした侍たちは、準決勝のために米国へ渡った。
試合は、ロスアンジェルスのドジャースタジアムで行われた。
その始球式に、アメリカのメジャーで大活躍した、野茂英雄が登場した!
観客の割れるような大声援と拍手の中、彼はラソーダ元監督と共にゆうゆうと現れた。
ドジャースタジアムこそ、NOMOのメジャー時代の、一番の根拠地である。

本当に、NOMOは米国で大スターだったのだ!
米国民は、突然現れた憧れの大スター、日本人投手NOMOを忘れてはいなかった。

1996年の夏、私は仕事でロスに行くことになった。
風邪気味の私に、ロスで長く暮らしたことのある知人は言った。
「西海岸の風に吹かれれば、風邪なんてすぐによくなるよ」
本当に町の中には、いつもそよそよと心地よい風が流れ、
風邪をひいていたことなど、すぐに忘れてしまった。

NOMOは、その前年、1995年に渡米した。
閉鎖的な日本野球界の様々な問題が原因で、かなりの年俸や地位を捨て、
日本を飛び出した。
日本の野球界では前代未聞のことであり、大騒ぎになった。
まさにゼロからのスタートだった。

野球シーズンが始まると、ドジャーズのNOMOはあっという間に大スターになった。
ピッチャーである彼の投げる球を打てる人は、最初なかなかいなかったのだ。
三振、三振、と三振の山を築く彼に、米国民は驚き、日本人は狂喜した。

20年前の話であるが:
米国は他の欧米諸国よりは、親日的とはいえ、平等感はどうだったろう?
いまいち平等でなかったとき、日本人が米国民のヒーローの「野球選手」になったのだ。
その後にイチローなどが続いた。
ネット時代になり、あらゆる部門が国際化へと向かい、
両国は、平等感溢れるものになっていった。
平等感の源、日本人への感覚の分岐点のひとつは、NOMOの存在だと私は確信する。
外資系で仕事をしていたので、このような思いを強く感じるのかもしれないが。

栄光とは、だれもやったことがないことをはじめてやりあげた人、
それも単独でやった人に与えられるものだ。
NOMOは、それに値する。

で、私は出張中、念願だったドジャーズ球場に、野茂の試合を見に行った。
広大・広大・広大な駐車場に、スター選手の写真が印刷された大きな旗がひらめく。
80パーセントがNOMOの写真だった。誇らしかった。

観覧席には、バケツのような巨大カップのコーラを飲みながら
「NOMO~」「NOMO~」と叫ぶ男たちがいた。

ロスのやさしい風が吹いていた。
楽しい思い出だ。
おみやげに買った
Tシャツやグッズは、今も大切にしている





2017年3月20日月曜日

3月の園芸講座

月1回の園芸講座に出席した。
今回は「病害虫対策」。
いつもながら、目の前の土・植物・水・空気の話は、すなわち、
農薬、原発、地球、宇宙へと、つながる。

最近、植物の属と関わりを持つようになった私だが、いつも思う。
「この属はすごい!人間より強い!したたかだ!」と。
動けないのに、異なる時間の流れの中で、着々と時間をつなぎ動じない。
万全に防備された小さな種子カプセルの中に、遺伝子の設計図を詰め、
風に乗ってどこまでも飛び、二千年経過しても芽生えるのだ。

今月のレッスンは園芸植物の病気と害虫。
以下、私の聞き間違えもあるかもしれないが、一部を。

表面に見える虫については、ムシするくらいでOK、
卵のうちに見つけてとってしまえばいい、とのこと。
問題は地中のセンチュウと、病気つまりは「菌」。
センチュウは土の中に食べるものがなくなれば、いなくなる。
一度沸いたら、そこの土で植えるのを数年放置すれば、大丈夫。
ナスやトマトを、続けて同じ所に植えないほうがいいのはそのためだ。
しかし、農業はそんなことはいっていられないから、薬を使う。

ということで、農薬のことなど聞いた。
農薬がかなり使われている野菜を食べたからといって、
すぐに体に支障をきたすわけではない。
放射能と同様だ。
だから、こわい。

自家製の自然栽培ということで、個人で売っているような野菜は、
先生は買わないそうだ。
農薬を正しく使っているか、適量を使用しているか、わからないから。
それよりは、農業に対する日本の大変厳しいチェックを受けた野菜のほうが安心。
嬬恋のキャベツなどのチェックはすごい、とのこと。

菌と薬との格闘の話。
できるだけ化学肥料は使わないで、有機肥料や自然のままのものを使うように。
本来日本の気候には不適なりんご、ぶどう、ばらなどの、薬漬けの話。
ム~~~。

沈丁花の香りでいっぱいの我庭を眺めながら、
この庭の土の下には、たくさんのセンチュウがいるんだろうな、と
溜息をつく私である。
とはいえ、吐息と共に、園芸にはまりそう。
小さな庭なんだけれど。
植物の生成は何と科学的なことだろう。
若かったら、植物や農業を学びたいくらいだ。

書ききれないけれど、色々なことを知る楽しい講座である。

園芸講座の行われる建物は、花々や樹木園に囲まれている。
近隣農家による日曜販売市場も開催。

2017年3月18日土曜日

ピピピ

月1回、半年間の「メイク・ボディ講座」が終了した。
「メイク・ボディ講座」とは、つまり「生活習慣病の改善講座」である。

意気込んで(頼まれたのではあるが)参加したにしては、現実は改善から遠い私。
私の改善目標はダイエットと切れのいい体力。
運動と食事が、生活習慣病を改善するキーである。
「半年で、生活習慣をすっかり変えるのは無理ですから、焦らないように。
知識を身に着け、自分の方法で改善しましょう」と、指導員。

この講座をうけた結果、大変重要な成果・結論を得た。
 1)長い間迷っていたが、主治医を変える決心ができ、変えた。
 2)たくさんの有意義な知識を得られたが、自分の生活手法や食事の傾向を
   完全に変えるのは、無理とわかった。
   かえってストレスになり、反動が起こる。
 3)自分にあった方法に出会うこと。
   知識をもとに、自己流が一番! 

何度ダイエットをしたことだろう。年中行事のように。
体質を習慣を受け入れたほうがいいのかしら?

ということで、自分の生活を再度見直すことにした。
どうしてこういつも時間に追われているのか?
どうして夜、くつろぎ落ち着くと、食べてしまうのだろう?
その日の用事によって、食事時間などかなり不規則な生活だ。
だって、気ままな一人暮らし、やりたいことをやりたいようにできるのだから。
何かをしていると、それに集中して、食べない。終わるとドカ食いする。

人の体は、習慣に沿うと思う。
まずは、起床時間と食事時間だけでも、規則的にすることにした。
携帯には、アラームがいくつでも設定できる。
1日に、全部で6つのアラームをセットした。
起床時、朝食時、昼食時、夕食時、薬を飲む時間 就寝時。
これらの時間をしっかり守り、体が規則に沿うようにする。
食事時間以外の間食は禁止。

買い物途中で、ピピピピ あ!昼食時間だ。
メールを書いている途中で、ピピピピ あ!夕食時間だ。

もし鳴らなかったら、昼食は買い物から戻ってとなり、1時間以上ずれたろう。
購入した好物食品も加え、ビッグランチになってしまっただろう。
ピピピは、自分を律する上で大変効果があると予想する。

気が付いたことは、パソコンに非常に多くの時間が流れていくことだ。
この時間をもっと制御する必要がある。

というわけで、しばらく、ピピピをやってみよう。
生活を律する意味でも。



2017年3月9日木曜日

立ち上げる

同年代の旧友女性6人、ほぼ1年ぶりに会って、おしゃべりした。

茶道の大師範
 この頃、この道のきつすぎる諸事項や、金満体質が、生徒たちの現実生活に
 マッチしていないようでストレスだわ。
 こっちの店のお砂糖のほうが2円安い、って生活の生徒たちに、
 何十万ものお道具はそぐわない。茶道って、これでいいのかしら?
 子供たちに教えるのが一番楽しい。

女流将士
 将棋道場に行くと、ストーカーがいたり、おじさんたちだけがワーっといて、
 女性が入っていくと一斉に見られたり。
 のびのびと楽しんで、将棋をさしたい。

私たちは一斉に言う。
「自分で、立ち上げちゃえば!」
そうすれば、今までの経験を生かして、好きなようにできる。
二人とも、その道では一流なんだし。
利益がなくても損失がなければいいなら、できるのでは?

本当、もう人のいうことや、イニシエの規則に左右されるのを拒否しても、
何も怖くない年齢だ。
人間関係に縛られず、自由にのびのびと好きなようにやりたい。

ただし、一人でも立ち上げられること、一人でも平気なこと。これが前提だ。
また、無責任ではできない。
一緒にやってくれる人を探すようでは、立ち上げる資格はない。
となると、立ち上げるって、相当情熱がないとできない。

私のそばには今、上に記した友人とは別の、立ち上げようとしている人がいる。
立ち上げ時は大変なので、できることをお手伝いしているが、
共に立ち上がる時間や心の準備は、今はない。
誤解されないように、誠意を尽くして、「共に」は無理だと説明しているが・・・。

人間関係は幸せの源であり、わずらわしさの源でもある。
可能な限り自立し、自分の幸不幸を他人に左右されたくない。
それが理想だが、そんな孤高の人になれたときは、超高齢者なんだろうナ。

そんな孤高の人に、今はなりたくないし、なれないけれど。
オーレイ!

2017年3月5日日曜日

電車でゴトゴト

英国の挿絵作家、ランドルフ・コール・デコット(年代は日本の明治時代に活躍)
の絵本を読んだ。
その中に次のような説明があった。

  汽車が発明され利用されはじめた時代、彼は汽車に乗ると気持ちが
  高揚して、想像力が刺激された。
  『不思議な国のアリス』を書いたルイス・キャロルも同様で、
  『不思議な国のアリス』の全部の章のタイトルを思いついたのも、
  ガタンゴトンと汽車にゆられているときだった。

思わず、大きくうなづいた私。
電車にゴトゴトゆられているときって、魂が解放される。
大学時代、そして会社に勤めはじめたとき、東京に住んだり、
電車通勤したりと混在はするが、
多くの時間を片道1時間半から2時間以上の電車通学・通勤を経験した。
熟睡、友人との会話、読書と、1日の多くの時間を、電車の中で過ごした。
あの時間があったから、たくさんの読書ができたと思う。
この読書は、現在大きな財産になっていると思う。
現在は新幹線通勤も利用できるが、新幹線もなかった、
または通勤には贅沢だったあの時代。
電車の中のゴトゴト時間は、本当になつかしい。

今も、急ぐ必要がないときは、できるだけ「ゴトゴト」で行く。
ゴトゴトのリズムの中で、眠りの世界に潜る気分は、何物にも代えがたい。

あしたは出かけるのだが、早めに出て「ゴトゴト」したい。
何をしようか、眠ろうか、楽しみだ!

お盆休み

ちょっとはちゃめちゃな1週間だった。 お盆休みでいろいろなことがお休みになり、 人々の多くは「家族行事」の週だ。 少なくなってはいるが、子供や孫を迎える、 というのが昔ながらのスタンダードな平和風景だ。 特に予定のない私は、絶対に家の整理!絵も描きたい!と思っていたのに、 抜本的...