日本は優勝こそしなかったが、十分満足できる、すばらしい試合を見せてくれた。
日本で全勝を果たした侍たちは、準決勝のために米国へ渡った。
試合は、ロスアンジェルスのドジャースタジアムで行われた。
その始球式に、アメリカのメジャーで大活躍した、野茂英雄が登場した!
観客の割れるような大声援と拍手の中、彼はラソーダ元監督と共にゆうゆうと現れた。
ドジャースタジアムこそ、NOMOのメジャー時代の、一番の根拠地である。
本当に、NOMOは米国で大スターだったのだ!
米国民は、突然現れた憧れの大スター、日本人投手NOMOを忘れてはいなかった。
1996年の夏、私は仕事でロスに行くことになった。
風邪気味の私に、ロスで長く暮らしたことのある知人は言った。
「西海岸の風に吹かれれば、風邪なんてすぐによくなるよ」
本当に町の中には、いつもそよそよと心地よい風が流れ、
風邪をひいていたことなど、すぐに忘れてしまった。
NOMOは、その前年、1995年に渡米した。
閉鎖的な日本野球界の様々な問題が原因で、かなりの年俸や地位を捨て、
日本を飛び出した。
日本の野球界では前代未聞のことであり、大騒ぎになった。
まさにゼロからのスタートだった。
野球シーズンが始まると、ドジャーズのNOMOはあっという間に大スターになった。
ピッチャーである彼の投げる球を打てる人は、最初なかなかいなかったのだ。
三振、三振、と三振の山を築く彼に、米国民は驚き、日本人は狂喜した。
20年前の話であるが:
米国は他の欧米諸国よりは、親日的とはいえ、平等感はどうだったろう?
いまいち平等でなかったとき、日本人が米国民のヒーローの「野球選手」になったのだ。
その後にイチローなどが続いた。
ネット時代になり、あらゆる部門が国際化へと向かい、
両国は、平等感溢れるものになっていった。
平等感の源、日本人への感覚の分岐点のひとつは、NOMOの存在だと私は確信する。
外資系で仕事をしていたので、このような思いを強く感じるのかもしれないが。
栄光とは、だれもやったことがないことをはじめてやりあげた人、
それも単独でやった人に与えられるものだ。
NOMOは、それに値する。
で、私は出張中、念願だったドジャーズ球場に、野茂の試合を見に行った。
広大・広大・広大な駐車場に、スター選手の写真が印刷された大きな旗がひらめく。
80パーセントがNOMOの写真だった。誇らしかった。
観覧席には、バケツのような巨大カップのコーラを飲みながら
「NOMO~」「NOMO~」と叫ぶ男たちがいた。
ロスのやさしい風が吹いていた。
楽しい思い出だ。
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おみやげに買った Tシャツやグッズは、今も大切にしている |
お! テンプレート リフレッシュですね! いい感じ!
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