ピーチク・パーチク
先生が入ってきても、わいわいのおしゃべりは止まなかった。
先生は黒板に大きな文字を書いて、部屋を出て行った。
「烏合の衆」
僧侶も兼ねている、物腰のやさしい先生の静かな行動に、私たちはシーンとなった。
一息のシーンのあとに、またワイワイガヤガヤ、言葉の意味を想像しあったっけ。
世の中は、世間は、烏合の衆で成立している。
その烏合の衆を言葉で「洗脳」し、ある方向にひっぱっていくのが、「時代」なのかもしれない。
流行の映画、小説、メディア、すべてそう思える。
コンピュータはOSが入ってはじめて、コンピュータになる。
OSやプログラムがなければ、ただの箱である。
私たちも同様。 だから、人間って、どうにでも変化できる。
とっても危ういのだ。
いやいや、人間はそういうものではない。本能的に何が正しいか判断できる。
Yes, そういう部分もあるかもしれない。
あってほしい。
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暑い! |
何が正しいか解る本能は確かにあると思う・・。
返信削除なのになぜ・・?
やはり煩悩と言うのも兼ね備えた物で それが 大衆を動かす知恵も出し・・・そして 社会全体をも動かし戦争になったり・・。
生まれたままのきれいな心をどうにか保持したら・・みんないい人になるのかも・・?