衣替えにはもう遅いかもしれないが、多かれ少なかれ今は、
服の入れ替えのシーズンだ。
最近の私は、フォーマルな服はほとんど買わない。必要ない。
お出かけ着を揃えたとしても、社会を卒業したこの年齢と、
コロナ時期の今、着て出る場もない。
普段着のほうが便利な生活なのである。
家にいる時、いつでも外出できる服装をしている友人もいる。
それは大切!見習いたい! でも 私は無理だろう。
家でスーツなんて着ていられないでしょ?
私がどっぷりと仕事をしていた時期は、バブル時期に重なる。
30代終わりから40代の仕事時代の自分には、「女性らしさ」よりも
「能力や信頼」の提示が必要だった。
衣服は目的を達成する手段の一つであり、自分を守る甲冑でもあった。
心の中では半分自信がなくても、甲冑で身を固めるのである。
高級な服にはそれなりの価値があり、
美醜やスタイルに関係なくかっこよく見せてくれるので、自信も持てる。
その「見ためのよさ」は、仕事への重要な力の一つでもあった。
米国に出張中に見た、洋服の海外事情。
会社にはMITやハーバード出身のエリート社員も多い環境だった。
そういう優秀な社員は、特に服装に構っていないように見えた。
自他ともに認られた自信があるので、甲冑は不要なのだろう。
私と同質の部屋になったハーバード出の女性社員は
穴の開いたGパンをはき、ヨレヨレのセーターを着てリンゴをかじっていた。
秘書は違う。
テレビドラマで見るような美化粧、体のカーブを強調したファッションで
香水の香りとともに現れる。
両者の間にはしっかりとした境界線があり、
深くは侵入できないように見えた。
玉の輿は稀とみた。
私のワードローブには、2種類の服がある。バッグも靴も同様だ。
つまり、甲冑時代のものと、現在生活のもの。
甲冑時代の服は、高価なブランド品が多い。
現生活の服は、素材は比較的ペラペラだが、着やすく洗濯しやすい!
また2-3年に1着、夏の家庭着を自分で作ったりもする。楽しい。
友人たちからは「筒服」と笑われる。
甲冑時代の服は時代遅れだが素材がいいので、少し残してある。
古いとはいえ、着てみるとやはり素敵なのだ。
私は高級服とペラペラ服、両極端を着て楽しんでいる。
それは服の事だけではなく、生活全般のことかもしれない。
今年も両極端の服を整理して、衣替えをしている。
満開の藤の花