2023年1月28日土曜日

人それぞれなのだ!

 寒い日が続いているが、海沿いのこの地方では、

私はあまり寒さは感じない。

近所の古い家屋に住む友人が

「昨日の朝、部屋の温度は0度だった」と言っていたが、

平気そうだった。

私はキーンとした冷たい空気が好きだ。

国連の発表によると、室温が摂氏18度以下は虐待にあたる、とのことだが、

私は冬の室温が18度を超えると、息苦しく、薄着になる。

血圧が上がるかもしれないが、自分が心地よければそのほうが体にいいのではないか、

と最近は思う。

心地よさは人によって異なるのだ、自分の本能に沿えばいいと考えている。


近所に101歳の方がいる。

クーラーもあるにはあるがほとんど無機能で、小さな電気ストーブと

昔の掘りごたつで暮らしている。

古い家で段差が多く、また2階への階段も急である。

それなのに元気だ! 階段の上り下りもしている。

住み慣れた家、住み慣れた環境、一緒に暮らす最愛の娘、

だから101歳でも元気なのだと思う。

もし、常に室温20度、計算しつくされたカロリーや栄養素の食事をする

施設などにいたら、多分こう長くは生きられなかったかもしれない。

この年齢になったのだ、人はそれぞれ、もう一律思考には振り回されたくない!

節度よくは守るけれど、振り回させない!


友人からの一押し、お勧め映画「老後の資金がありません!」を見た。

大笑いした。草笛光子の美しさと存在感は素晴らしかった。

世の中の、お金の提言ばかりに振り回されず、

個々の本当の幸せについての映画かしら?

笑うのは最高だ。


まばゆいばかりの陽光の中、誘われて某広場に散歩に行った。

広い県営の広場の早朝、人はほとんどいない。

空はどこまでも広く青く、綿雲がふわりふわり。

くっきり見えるはずの富士山は、綿雲に包まれていたが。

週末1日目のスタート!

綿雲が広がる







丹沢には雪が




2023年1月24日火曜日

歌の会

友人に誘われた。

 「<一緒に歌いましょう>という歌の会の催しがあるの。一緒に行かない?」

以前だったら絶対に参加しない私だが、参加することにした。

どんな歌うたうのかしら?どんな人が来るのかしら?

場所は公共施設だし、金額も少額で、大体の雰囲気予測はできる。

期待はほどほどに、と思った。


はじまった。

昔の歌声喫茶のような感じだ。


歌声喫茶とは、私たちが若い時代に盛況だったある種の喫茶店で、

中心にアコーディオンやギター、ピアノなどの演奏者と歌手がいて、

それを囲むお客は主に学生である。

客たちは、伴奏に合わせて歌手とともに大声で歌うのだ。

「オオブレネリ、あなたのお家はどこ~」とか、「小さな日記」とか。 

まことに清廉で質素、品行方正、純粋で明るい昔の学生たちの姿が蘇る。

私はお茶の水あたりにあった喫茶店に一度だけ行ったことがあるが、

あまり趣味ではなかった。

純粋過ぎて、こそばゆかった。


今日のお客は、ほとんどが同年代65~80歳くらいの女性でした!

ホストはギター片手のやはり同年代の男性A氏で、彼は多分プロである。

まあ1時間半、何曲だっただろう!たあ~くさんの歌。

私も歌いましたよ!大声で。

冬の季節を歌う唱歌「冬景色」から、「青い山脈」「襟裳岬」

「あの鐘の音を流すのはあなた」「寒い朝」「若者たち」

「私の城下町」「津軽海峡冬景色」「空よ」などなど。

1時間半、何と楽しかったのです。


次は3月で、それも申し込んできた。

こんどはフォークソングとか、竹内まりあの曲などもやってほしいなあ。


年齢を重ね、身体も変化し、一人暮らしになり、友人も変化してゆく中で、

新たな体験をどんどん重ねていくことが(そんなことしたくない、と以前は

思っていたとしても、まずやってみることが)

年齢に沿って楽しく生きてゆくことなのだろう。

と、マタ イイキカセテイル ワタシデス。

でも楽しかったのよ。

誘ってくれた友人に感謝である。

吉永小百合「冬の朝」歌っているところ






2023年1月23日月曜日

女性 仕事 人

 何気なくこのブログの過去を見ていたら、「映画 ドリーム」を見た感想が書いてあった。

思わず読み返した。

同じように働いてきた友人がよく言う。

「私たちは仕事に恵まれて、普通では出来ないような体験や経験ができたのよ。

だから今少しぐらい大変なことがあっても、文句言わないの!

皆、子育てなどでやりたい事我慢した結果、今の落ち着いた幸せがあるんだから。

私たちはさんざん楽しんだんだから、もういいのよ」

はい、こちらもとても苦労したこともあるけれど、まー納得。


さて、映画:

少々長いブログでアメリカ映画ですが、日本はまだまだ女性と仕事と言う点では

未開発国(凄く)ですが、よかったらお読みください。

学校や職場、生活が、皆いい気持ちでできる時が来ますように!

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2017年10月14日土曜日

数日前に見た映画が頭から離れない。実話である。

日本題「ドリーム」

このタイトル、不服だ。そんな甘いもんではなかったろう。

原題「Hidden Figures」(直訳 → 隠された人々 )


時代は、1960年代、コンピュータがまだヨチヨチ歩きだった頃だ。

舞台は、米ソの宇宙開発競争まっただ中のNASAである。

主人公は3人の黒人女性。3人とも数学の天才でその頭脳明晰さにより、最上級の教育を受け肩書を持つ。

とはいえ人種差別の残る時代、薄給の臨時雇いで管理職にもなれない。

人工衛星やロケットの離陸および着地には、私には想像もできない高度な数学の計算が必要のようだ。

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******* 以下 映画のストーリーである。それほどのネタはない映画だが、      

******* 見たい人には知らないほうがおもしろいかも。

******* 彼女たちの仕事は、衛星軌道や着地点を計算して割り出すことである。

******* 読みたくない人は次の「*******」マークまでパスしてください。      

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内容)    

オフイスも何もかもが、白人と黒人は分かれていた。

白人たちから遠く離れた黒人だけのオフイスにいたのでは(携帯もLineもない時代)

計算のためのやりとりは間に合わない。

そこで主人公の一人は、白人男性だけのオフイスに席が設けられる。

女性は白人の秘書だけだ。

黒人の彼女は同じコーヒーポットも使えず、トイレも遠くにある黒人専用に行かなければならない。

やがて、彼女の迅速な計算がなければ有人衛星の打ち上げができなくなり、

国家機密会議にも出席が必要になる。

白人女性さえも出席していない時代、女性プラス黒人の彼女は

目立たないようにひっそりと小型計算機(上級電卓のようなもの)を手に出席するのである。

そして会議の中心問題、着地地点の軌道を決めて宇宙飛行士を救出すること、は彼女の計算結果、つまり彼女の力量にゆだねられるのだ。

実際はこの映画よりはずっと困難だったと思うが、やがて功績が認められて差別が薄れてゆく。


コンピュータがヨチヨチ動き出した時代。

いずれ彼女たちに代わり、コンピュータが計算を担うだろうと予測できた時代である。

別の主人公は、白人専用の図書館に潜り込み、Fortranというコンピュータ言語の本を入手する。

天才の彼女にとって、プログラミング言語の習得は簡単なことだった。

そして計算室の(colored computer という部屋で多くの優秀な黒人女性が計算に携わっている)女性たちにコンピュータ言語を教え始める。


もう一人の女性は、NASAで最初の女性技術者になる。

IBMコンピュータが稼働を開始する。

しかし、IBMの技術者たちも、まだよく稼働できない上に計算ミスもある。

それを助けるのが彼女たちである。

やがて彼女たちが、NASAのコンピュータを担うことになるのだった。

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******* 以上 映画のストーリー終了                      

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彼女たちの年齢は、私の母親とほぼ同じだ。

そしてこの映画の舞台となった年代(宇宙開発競争時代)は私が大学生から社会人になる少し前の時代だ。

夜明けに家中で起きて、帰還宇宙船が無事回収できるか、祈りながらテレビ中継を見守ったっけ。

米国の宇宙挑戦は進み、やがて月面到着に至る。

月面に到着した宇宙飛行士3人は世界中を凱旋した。

東京で行われたパレードをすぐ近くで見た!

日に焼けて精悍だなあと思った(身長180センチ以上の白人男性しか選ばれなかった)。

アメリカ大使館近くのビルには「Welcome Astronauts」の垂れ幕がひるがえり、大騒ぎだった。


その陰に、こういう人たちが「隠されて」存在していたのね。

自分が行った計算結果の報告書の隅に、名前さえ載せられない、削られてしまう。

私の身のまわりでも、過去に似たことはあったし、今もあるでしょうが。

  二重差別 … 私は女性であり、そのうえ黒人である

米国のフェミニスト アリス・ウォーカーの言葉を何度も思い出した。


NASAのオフイスは、人々は、学卒の私が入社した外資系(米国)のコンピュータ会社を思い出させた。

男性の中に一人、同じ職種に携わるというのも、その後の私の社会人人生で多々経験したことだ。

そこから、自分の社会人としての色々を思い出した。

映画の中で「Work like dog」という言葉が聞こえたこともあったかもしれない。

入社したとき、「女性らしくあれ、でも仕事は犬のように働け」と言われた。

半分ぼんやりしながらも、みな「やる気」だった。幸せだった。


やがて社会人としての実力がつき、ある年齢になると、男性のライバルとなる。

どの男性も追いつけないくらい、超超超頭脳優秀ならまた別だろうが、そうでなければ、

おだやかに体制を受け入れ、出っ張らなければ、昇進はしないが暖かく扱われる。

ま、あまりやる気にはならないわね!

そこをうまくやるのが能力ではある。

差別だと心をとがらせるのは無意味。女は女のやり方で。

人生の最終目標は、幸せな結婚生活なのだから。それ以外は不幸、大変だ。


日本はまだそういう時代だった。

色々思い出すが、それはまた別の機会に。

今の若い人の多くは専業主婦だなんだ言っていられないようだ。

食べていくために、お母さんたちも何でもいいから

仕事をしなくては!という時代だ。

仕事の意義とか自立とか考えられたのは、時代にゆとりがあったからかもしれない。

若い諸君、大変ではあるだろうが、頑張ってください。よくはなってきていると思います!


言いたい:

働くということは、自分の仕事を持つということは、素晴らしいことだ。

困難な時もあるけれど、本当に素晴らしいことだ。

若者は、辛くても素晴らしいと思える仕事や職場に出会ってほしい。

大人は、そういう仕事や職場を作ってほしい。

また、人材を見極められ、冷静で社会的な判断のできる大人の女性をもっと多く育ててほしい。


仕事は素晴らしい!

専門知識・専門分野を身に着けよう!

彼女ほど高度でなくても。

それは大きな武器でもある!

ドリーム」の一場面借用画像












2023年1月22日日曜日

夕焼けの中へ~

 自転車を変えた。

筋力がだんだん落ちるお年頃。

今の自分にあった安全な自転車に変えた。色はブルー!

あまり乗っていなかったので、これからたくさん乗ることにしようと、

昨日に続き、夕方外に飛び出した!

寒いけれど、外は夕焼け色に染まっていた。

私も自転車と夕焼けの光の中に飛び込んでいった。

ふわふわと飛ぶように、優雅に、ゆっくりと、

混んでいるところは避けて、サイクリングを楽しんだ。


自転車をこいでいると、下半身の筋力をよく使っていることが分かる。

つい車を使ってしまうが、自転車は小回りもきくし、運動になる。

車は年齢を思うといつまでも載っていられないだろうし、

ゆっくり(半分歩いても)自転車に親しんでいこう。

もっと筋力とバランス力を鍛える必要がある。

鍛えましょう。

海の夕焼け










貴女の名前はなあに?




2023年1月21日土曜日

室内で履くもの

 私は今、家の床を滑るように軽く動いている。

歩いている、というよりかけている、浮いている感じだ。

それは、スリッパを履いていないから。

素足で歩くより、ソックスだけで動くより、

ずっと楽な履物を履いているのだ。


この半月、余った時間にできるだけ多くのものを廃棄したり整理している。

その過程で、未処理の母の履物などが多く出てきた。

その中に、施設で履いていた室内履きがあった。

Mサイズ。きれいに洗ってあるので履いてみた。ぴったりだ!

歩いてみた。

軽くて動きやすくて、それ以上に足が踊り出しそうな

履き心地だ!

その瞬間から、私はもうスリッパを履かなくなった。

階段だって踊りながら登れそう。


色々な介護製品が生み出されている。

現在の自分は介護レベルには遠いが、膝や腰に違和感がある。

そういう時は、介護用品を検討するのもいいと思った。

この年齢になり、コロナ下でもあり、

一日で一番長く履く履物は、室内履き(スリッパ)だ。

履物を変えることの影響は大きい。

だまされたと思ってお試しあれ。


私が履いている軽いもの



そこが固く中が暖かくなっている物もある。
これは履いても、スリッパとあまり変わらない。







2023年1月14日土曜日

ちっくしょう!


前回の最後

「つつがないいつもの日が始まった。

このような日常、このような時間を大切にしようと思う」

呪文のように繰り返して言い聞かせている。

言い聞かせるようにこのブログを書くこともある。

本当? 満足?

多くはYES満足、時にはNO 。


心の中の嵐が、情熱が、時々抑えきれずに吹き上がる。

安定した優しい毎日こそが、何よりも大切だと知りながら、

言い聞かせながら。

スリル、脳と体を目いっぱい駆使した冒険ができたら、どんなに楽しいだろう。

昔のたくさんの出来事、この私がそんな事していたの?というようなことを

思い出す。

実際に今そうなったら、身体的に、脳的に無理だろう。

自分で分かっている。


身体と脳の老化!これにはあがらえない。

自然の摂理。

そして私は、地方の生まれ故郷に居を移した。

まわりの同年代は、仕事を少ししたり、趣味に没頭したり、温泉に行ったり、

家族の世話など、心を優しく保ち、人に迷惑をかけないように祈りつつ、

一生懸命残った時間を時分のできる範囲で過ごしている。

過ごそうとしている。

少しづつ衰えながら。

私もそう見えるだろう。

しかし、人それぞれ、心の中には色々なものがうごめいているに違いない。


究極の生きる目的は、死ぬことだ。

だから「ちっくしょう!」なんて思わないで、

静かに命を受け入れていかなくてはねえ。

でも・・・・ちっくしょう!

しっかりしてね!自分!


怒ったり笑ったり
C'est la vie 









2023年1月11日水曜日

日常のはじまり

 連休明けの1月第2週。

今日から、日本語ボランティアが始まった。

コロナの影響もあって講師も受講生も少なかったが、

だんだん増加傾向になってきた。

講師陣の中枢が病気で入院したこともあり、

皆、それぞれの責任を再認識してがんばっている。

ここの教え方は個人レッスンである。

結果、自由に教えられるのがいい。

できるだけ、楽しく有効でいい時間になるように、

それぞれ工夫もしている。そういうのが楽しい。


レッスンが終わると、仲良し講師3人で食事に行く。

一人暮らしどうしの3人なので、時間も気にせず、

おしゃべりに花を咲かせる。

ほぼ同年代で、3人というのもいい。

たくさんの情報を仕入れ、伝えて、別れる。


つつがないいつもの日が始まった。

このような日常、このような時間を大切にしようと思う。

描きたい風景




2023年1月9日月曜日

オリーブの実

 庭に鉢植えのオリーブがある。

20年くらい前に、友人から頂いた。

頂いた春には白い花が満開になった。そして花は実を結ばずに散っていった。

最初の年ほどたくさんの花が咲くことはなかったが、

でもたくさん、または少々、春になると小さな白い花を身に付け、

やがて散っていった。

あえて大木にはならないようにしながら、オリーブ色の葉が茂るだけでも

素敵なので、それでよしとしていた。


フト、花が咲くのだから結実させたいと思う。

同じ樹の中では、受粉しないということを知らなかった。

そこでもう一鉢オリーブを購入して、そばに置いた。

しかし数年間、何の変化もなし。

昨年の春、近所の家にオリーブの花をみつけたので、

絵の筆とビニール袋片手に、こっそりと花粉どろぼうを試みたのだった。

自宅のオリーブに、絵の具の筆で受粉してみた。


そんな試みを忘れた頃、ふとみると実がついている!

私にしてはたくさんだ!64粒!

今迄も1個や2個の実はなったが、それらは「成り行きでちょっと・・・」

という感じだったが、今回は正々堂々。

実の収穫は12月中旬。

それから重曹で渋をとったり、塩水につけたりして、

ついに本日、完成となりました!

口に含むとオリーブの香りと味!

あまりにおいしくて、つい食べてしまい、数は減ったけれど

頂いた友人にも分けなくては!

友人宅のオリーブも全く実をつけなかったので。

来年はもっとたくさん収穫したい!と冬場の栄養を研究中。

実のなるものを植えるのは、何と楽しいことでしょう。


自作・オリーブたち

2023年1月8日日曜日

廃棄整理

 お正月に親族と過ごして帰宅後、一念発起して、

何度目かの家の大整理を決心した。

物を取っておいても時代は変わり、それを欲しがる子供もいないだろう。

残す意味はない。迷惑だけだ。廃棄だ!


いくらお掃除して片付けても、今使わない物を廃棄しない限り整理はできない。

家の中には「もう使わない物」「いつか使うかもしれない物」「譲りたいもの」

でいっぱいだが、それらをしまう場所はたくさんある。

だからきちんと隔離して保存し、後は目をつぶることもできる。

しかし「使わない可能性のある物がたくさんある」という事を私は知っている。

使わないのに「ある」ことも気になる。

お茶を点てたい、あのアクセサリを付けたい、あの本を再読したい、未読本も多い、

お気に入りの衣類や着物(もう着られない物もあるが)もたくさんある、

私にとって、家の中はお宝もので溢れているのだ。

そのお宝ものが、重荷になってもいる。


もう手放す時期が来たのよ、と自分に言う。

今迄も、何年間も、徐々に整理し廃棄してきた。

しかしこれ以上の整理は、レベルを変える必要がある。

今使いたいものも、もうそれは出来ないと決断しなくてはならないのだ。

もう読む時間はない、着るゆとりもない、行くこともないし、会う事もない。

日々の自分のことで、いっぱいなんだもの。

丁寧にゆっくり毎日を過ごそうと思っても、

未整理物が気になる。


「いつか」「だれかに」と思っていたことには線を引き、

今から自分だけのこれからのために、だんだん衰えていく身体に

やさしい環境にしていこうと思う。

その第一弾:

万が一、2階への階段の上り下りが困難になった時のために

(それが一時的にせよ)、1階だけで暮らせる準備をしようと立ち上がった。

タンスを一つカラにし、2階の家具をおろし・・・・

なかなか大変である。

結局は、家じゅうのものの再配置(その前に廃棄)が必要になる。

焦ると、ろくなことはない、ゆっくり進めよう。

今週から日常が始まので、他の用事で中断も多くなるだろうが、焦るな。


ゆっくり丁寧に、日々を感謝して大切に、そのためには物を減らせ!

「やりたいこと」を絞ること!全てするのは時間切れ、と言い聞かせる。

言い聞かせるという事は、少々無理があるのかも。

まだ修行不足である。


どこまで整理できるかな?

もし完全には出来なくても、第2弾もあるから気軽に、と言い聞かせている。


アイルランドの友人からの
クリスマスプレゼントに入っていた雑誌。
ほとんど読んでいないけれど完読はしないだろう。
これも捨てる?





2023年1月6日金曜日

春にして君を離れ

 1月5日にちょっと書いたアガサ・クリスティの作品。

読み終わり、再度読み始める(私には珍しい事だ)。

テンポも語り口もどちらかというとだるいのに、なぜこうも惹かれるのだろう。

再読1/5あたりで、はっと気が付いた。

いやいや、最初から心の奥底で気が付いていたのだ。

これは、ある部分私のことのようだ、と。

そして、同じように感じる人も多いだろう。

優れた作品が皆そうであるように。


自分は正しい事をしている、愛する人のために、仕事のために、

家族のために、と尽くすほどに相手を追い詰め、

しかも自分はそれに気付かずに正義感の元、押し付けてゆく。

双方にとって悲劇である。

誰もが少しは経験することだと思う。


クリスティは、ゆっくりと小さな伏線をたてながら、

徐々に主人公に気付かせ、追い込んでいく。

今迄非の打ちどころもなく、家庭の中心にいたつもりの自分が、

実は家庭の災いの源であったことに。

大変怖い「殺人事件」以上の作品だと思った。

終わり方も、人生経験豊かで人間らしい。


自分のある部分について、色々考えさせられる小説だった。








2023年1月5日木曜日

2023年謹賀新年

あけましておめでとうございます

 

もう23年も前になるのね。

1999年から2000年に変わる時、コンピュータのどこかで支障が起こるかもしれないと、

関係業種の担当者はいつでも出勤できるように控えていた「2000年問題」時代。

あの時、私はまだ心は半分コンピュータ業界にいて、気をもんでいた。

それから23年、私はすっかり「家庭の人」で腰をさするシルバーとなっている。

不器用なタチなので、家事万能なおばあちゃまには程遠く、

修業中だ。


今年の目標は!  健康であること、いつまでも歩けるように鍛える事。

基本はこれに尽きるでしょう。

あとは、たくさんたくさんあるけれど、「できたらラッキー!急がずに楽しもう」

であります。


アガサ・クリスティの「春にして君を離れ」を読んでいる。

  メアリ・ウェストマコット名で書かれる。

  原題: Absent in the Spring

クリスティ作なので、しっかり読み始める。

クリスティは人の心理をよく扱うし巧みだ。

この話は、何か事件があるわけでもなく、背景も普通の日常生活だけ。

普通の人、普通の生活、普通の家族の中の物語である。

普通の主婦が娘を訪問した帰り、異国で一人で2日位を過ごした時、

全くやることがなく話す人もいない中で、自分の人生を回想してゆく。

自分は献身的で完璧な妻であり母であると思っていた自信が、揺らぎ始める。

クリスティの巧みな筆が、主人公の心の安定をゆるがしていく。

殺人事件にも勝る恐怖がある。

まだ途中だが、どう決着をつけるのか、楽しみだ。

1944年作品。人ってあまり変わらないものだ。


初日の出です





お盆休み

ちょっとはちゃめちゃな1週間だった。 お盆休みでいろいろなことがお休みになり、 人々の多くは「家族行事」の週だ。 少なくなってはいるが、子供や孫を迎える、 というのが昔ながらのスタンダードな平和風景だ。 特に予定のない私は、絶対に家の整理!絵も描きたい!と思っていたのに、 抜本的...