この頃、何か毎日、あまりに当たり前のことを書いている。
そろそろ少し休んで、その後、また新たにスタートしよう!
ちょっとの間 お休みしますね。
桜見物を兼ねて、友人を招くことにした。
コロナのため、そういうのは久し振り。
楽しもう。
ではしばし休刊です!
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
桜は満開に近かった。
この頃、何か毎日、あまりに当たり前のことを書いている。
そろそろ少し休んで、その後、また新たにスタートしよう!
ちょっとの間 お休みしますね。
桜見物を兼ねて、友人を招くことにした。
コロナのため、そういうのは久し振り。
楽しもう。
ではしばし休刊です!
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
line雑談していた時の、友人の言葉が心に残る。
「この世界、来年はどうなっているかわからないものね。
好きなように生きればいいのよ」
すぐ90歳の自分を想像して、あれもしておこう、この準備をしなければと
ついあたふたする私への言葉だ。
心配事のない人はいないのに。
ウクライナの人々はほんの1-2日で、想像もしない事態になった。
最初の頃、何を家から持ち出すか、逃げる際身に付けておく現金はどの位か、
などという言葉がネットに舞っていた。一瞬の後、それどころではなくなる。
コロナは、メインニュースではなくなった。
コロナが、少しは終息した時期でほっとする。
ネットを上手に使うゼレンスキー大統領の日本への演説は、さすがだった。
これからの情報社会は、表現力、言葉の力、表情などがいかに大切かを
示してくれた。元芸能人(役者、監督)の大統領は適役だ。
フアンである。
朴訥、無口、ツンデレではだめ、残念ながら。
アイルランドの友人からのメールによると、ウクライナはヨーロッパの穀倉地帯
(bread-basket of Europe )と言われているそうだ。
今回の戦争で、色々なものが不足&高額になる。
友人は庭の温室にトマト、レタス、胡椒の種、いちご、ポテト等を
植えはじめたそうで、今年、アイルランドでは自農自作が必須とのこと。
来年、世界はどうなっているだろう。
確かなことは、自分はもう一歳年取っていることだ。
知恵も度胸も1年分増加していますように!
![]() |
散歩 寒い!人影はなかった。 |
少し開花 遠くない時期に日本はさくらで埋まるだろう |
春 |
先週は予定が詰まっていて、帰宅後ぐったり、
頭で計画する時間と現実の時間の間には
大きな隔たりがある。
楽しい時間が多かったのだが、一つ大失敗をした。
ここに書いて、昇華したいと思う。
ある会の会計係になった。趣味の会だし月1回のことなので
たいした出入りはないのだが、それでもかなりの人数、かなりの入金を
管理する必要がある。
私には始めての経験だ。手書きが苦手で、Excelで作成できたらと思った。
それを知り、以前使用したフォームがあると送られてきたので、使用した。
このやり方なら年末、勘定科目毎の合計もすぐに出る。
年末の監査時、一部数字が合わないなどあったが、無事完了。
しかし同席委員たちの歯切れがどこかよくない。
会長が「最終責任は自分がとる」と言い終了した。
私はすっきりしない気持ちで帰宅した。
気がついた。今迄の会計帳は手書きである。
送られたExcelのフォームはいつどう使ったのだろう。
本当に使ったのだろうか?
年度締めは終わったが、帳簿上ある年度だけExcelでは…
今日になって、今までの手書き帳を見て、そういう事に気がついた。
担当者は変わっていくわけで、パソコンを使える人ばかりではない。
ちょっと気にはなっていたが、気付くのが遅すぎた。
どうして、最終的には手書きにしてほしいと言ってくれないのだろう。
頼み込まれての会計係、無理に頼んだので言えないこともあろう。
パソコンで一生懸命、詳細迄作成した表を見て、
手書きにとは言いにくかったのだろうか?
何か寂しい。私怖い?
手書きで書き直しますよ!と明日連絡しよう。
会長はホッとするだろう。
P.S
電話した。
私の思い違いだったようで、びっくりしていた。
ほかの問題が色あり、その話を長々と聞いた。
会計処理に関しては、
「大変な思いをさせてすまなかった。そのままでいい、ありがたい」との事。
よくわからん。
話がぴっと通じない。話す程迷路に。
知らん!
ある日のデザート |
高齢者たちの余暇時間・地方の都会編
ある女友達の日常を紹介する。
お茶やピアノを習いたかった。
子供時代は習わせてもらえなかった。
学校を卒業し、仕事をしてから習おうと思ったが、それどころではなかった。
教育関係の仕事を全うし、一人息子も自分の家庭を持ち、孫たちも元気だ。
やっと自由な時間、ゆとりある生活が巡ってきた!資金もある!
たくさん働いてきた!今迄やれなかったことをしよう!
夢をかなえるんだ!
高齢者(この表現は違和感がある。皆もっと若々しい)用のお稽古は山とある。
高齢になった専門家や半プロの素人が、格安で優しく教えてくれる。
先生も生徒もなかなかのレベルである。
彼女がやっているのは、習字、読み聞かせ、スケッチ画、水彩画、絵本作り、
ピアノ、テニス、水中ウォーキング、まだあったかな?
そして通院。
そして隙間を縫って、家族の用事や旅行。
ほとんどの習い事は、家で予習や勉強しないとマスターできない。
友人は、時間がなくてアップアップしている。
大多忙で元気だが、時々楽しんでいるんだか苦しんでいるんだかわからない、
と笑っている。
挑戦を繰り返して、生き生きしている。
いつまでできるかわからないので、今を大切に!と言い合っている。
私は多すぎた予定を徐々に減らして、適度に散りばめ、
内部充実したいと願っている。
考えながらの、それぞれの人生。
「さようなら原発」の会に入っている。 時々パンフレットが届く。 私はその中から1〜2枚を、家の外にはっておく。 この地の殆どの知人たちはそれを見ても何も言わない。 無反応を示している。 人間なら反応せよ!賛成でも反対でもいい! 情けない。 今日で11年になる大地震、原発事故がなかったら 全く異なる局面になっていたのに。 それなのに原発に関して何の進展もない。 |
10年以上前の話だ。
高原へ移住した友人が、都会での一人暮らしが困難になった母親を呼び寄せて、
一緒に住むことになった。
横浜のモダンガールとして名をはせたらしい母上は、
雀荘で日々、くわえたばこで麻雀三昧の生活をしていた。
そんな人が、さわやかでおしゃれで、大自然に囲まれた
別荘族の多い高原に住むことになった。
毎日が退屈で仕方がない母上は、こう言った。
「年寄は皆何をしているのかしら?」
当時はまだ高齢者の領域にはなっていなかった友人は、調査した。
別荘族として生活している人々の中には、高齢者はほとんどいなかったので、
地元民を調べることになった。
「ほとんどの人が、半分趣味で畑をやっていたわ」と友人。
畑ができない人は、何をするんじゃあ!
夫や子供がいる人は、ほとんどが家事と飯炊き、少しの趣味で手一杯かもしれない。
介護もだんだん必要になってくる。
やることは山とあり、自分時間はなかなかない。
反対に夫も子供もいないと、何をやればいいんだろう、になる。
生きがいを求めてしまうので、趣味程度の事では穴埋めができないのだ。
大好きな趣味であっても、時間つぶし的な時もあっても、
人との暖かい交流は生まれても、それだけでも幸せなのだが・・・。
先日も夫を亡くし、子供のいない友人からこんな言葉を聞いた。
老後の生きがいについてテレビでやっていたけれど、
ありふれた答えばかりで笑っちゃった。なんの役にも立たないわ。
寂しいよ。
英語を駆使してボストンで仕事をしてきたエリート女性である。
色々考えないで、日々の足元の生活に喜びを見出す事なんだが。
同じような思いの同年代が、それぞれの範疇の中で「そのときまで」
できるだけ充実しようと生きている。 同志たち。
幸せすぎるのかもしれない。
後で思い出して幸せな日々だったなあと思うのは、
このありふれた日常なのだから。
気付かなかった。 私がゴリゴリ途中から切り取った木 こんなに枝が出ていた。 |
夜、急にポテトサラダが食べたくなった。
というか、作りたくなった。
食事は終わっているので、ゆっくりていねいに作ることにした。
新ジャガの薄い皮を丁寧に洗い、たっぷりの水からことことゆでる。
ゆであがったジャガイモを布巾でくるみ、フーフーいいながら皮をむく。
暖かいうちにつぶし、塩コショウして、薄切りにして塩をふってから少し置いた
きゅうり、玉ねぎ、それからゆで卵、お酢、からし・・・などを混ぜていると、
子供の頃、ポテトサラダを自転車で売りに来ていた
「サラダのおばさん」 を思い出した。
昭和20年代終わりから30年代初めの頃だと思う。
皆、それほど豊かではない、でも貧しさは感じない時代だった(私にはそう思えた)。
「サラダのおばさん」は、数日おきに夕方、そばの空き地(広場)に自転車で売りにくる。
風呂敷を広げると何段かのトレイが表れ、トレイの中にはポテトサラダがびっしり。
細かく切ったパセリの葉で、10cm四方くらいの区切りがしてある。
おばさんは注文量にそって、パセリの葉の区切り部分を切り分けて、
持って行ったお皿に盛ってくれる。時々小さな女の子を連れていた。
母たちは、その人がくるのをみこして食事の支度をしていたっけ。
母は、時には不要でも買っていた。
おだやかな助け合いの時代だ。
スーパーも食料品店もそばにはなかった。
ご用聞きなんてきていた。ちょうどサザエさんの時代。
あのポテトサラダ、何の許可も得ていなかったんだろうな。
それでも一人の家計困窮の主婦が、得意な料理を作って自転車で売りに行かれる時代、
何か自由でいいなあ、と思う。
あのサラダ、とてもおいしかったです。
私が夜作ったポテトサラダもおいしくできた!
あしたゆっくり楽しもう。
大好きなターナーの作品 今部分的に似た作品を描いている ぇ~~~! |
ウクライナのニュースを見ていると、現実とは思えない。
親世代から聞いた、76年以上前の戦争の話に重なる。
米軍の飛行機が低空飛行で歩いている人々を射撃した、
気が付くと、横にいた少年が打たれて亡くなっていた、というような話。
インターネット時代なので、現場の様子が画像で飛び込んでくる。
他のことを書くつもりだったが、今書く気になれない。
おやすみなさい。
私が小学生高学年の頃、映画「のばら」を見て、
主人公の少年の大フアンになった。
そのことを知っている友人が、言った。
「あの映画は今のウクライナと同じだね。
同じような事を、70年たってもやっているなんて!」
本当だ!
あのあたりは、常にいつも危うい事の繰り返しだ。
映画「のばら」は、ハンガリー動乱でオーストリアに逃れてきた孤児の少年が、
やがてウイーン少年合唱団に入る物語りである。
主人公の少年役・ミハエル・アンデの大フアンである私は、
今もネットで時々追いかけている。
ハンガリ動乱とは:
ハンガリーの首都ブダペストで1956年10月23日、民主化やソ連軍撤退を要求する学生や労働者のデモが発生。ソ連は軍を出動させ、市民と衝突した。
事態はいったん正常化に向かったものの、ナジ首相がワルシャワ条約機構からの脱退とハンガリーの中立を宣言したのをきっかけに、ソ連軍が新たに越境。
11月4日にブタペスト市内へ突入すると、ハンガリー軍、市民義勇軍と市街戦を展開した。
優勢なソ連軍にハンガリー軍と市民義勇軍は頑強に抵抗したが、同日中にはソ連を後ろ盾とするカダル政権の誕生が宣言され、国内の抵抗もおよそ1週間で鎮圧された。
ナジ首相は国家転覆罪に問われ、2年後に処刑された。
この動乱での死者は2700人に達し、約20万人のハンガリー市民が西側に逃れたともいわれる。 (1956年11月06日) 【AFP=時事】
今回のウクライナはまだまだ終息の見込みがなく、死者数も難民数ももっと多い。
孤児もたくさん出ることだろう。
本当に心から願う、早く終わりますように。
映画の中の歌を集めた レコードのジャケット |
ウクライナよ、これ以上悲惨になりませんように!
多くの人々が、理性や知性、歴史から多くを学び、平和を愛しても、
殺人兵器と、狂気の人物の支配によって、一瞬のうちにヒットラー時代に重なる事態が
発生してしまうなんて・・・
私たちの「脳」は大変弱いものだ。
ちょっとしたコントロールで、たちまち洗脳されてしまうのが人間の脳だ。
洗脳された数名の人間が、こんなに大きなこともできてしまう。
核戦争にならないように、誰も力では制圧できない。
報道でみた光景。
ウクライナの男性たちが地下壕に集まっている。
本当に普通の人々だ。
「子供たちのために、これから生まれてくるこどもたちのために戦う」
その若い男性の暗い瞳には、絶望と悲しみと決意がいっぱいだった。
これ以上見ていられなくて、テレビを消した。
何もしないで、ただ見ているのはきつい。
出来ること 出来ること
知人が飛行機から撮った写真 神を感じる大自然 愚かな人間を助けて! |
日向ぼっこの亀さんたち 今日は2匹一緒に ちょっとした見物人も。 |
わずかな額ではあるが、年末調整をしたい。期限が迫っている。
昨年パソコン経由の年末調整、e-Taxを初めて利用し、
ラクだったので、今年も気軽に始めた。
今年は、マイナンバーカードも利用しようと思った。
ところが、カードを読み取るアプリが必要、読み取り画面が見つかりにくい、
等々思ったよりも手こずる。
複雑でないことも複雑にしてしまう、膨大な説明。
データの一時保存、保存場所、再読み込み、皆迷わずにできるのだろうか?
普通は分からなくて当然だと、思う。
私にとっては仕事で使ってきた事だし、若い人は学校や会社で使っている。
中高年や仕事で使っていない人は、本当に大変だと思う。
尊敬する。気を付けないと、機械に振り回されてしまう。
今年の手順をメモしておこうと思ったが、
多分来年もシステム変更があるだろう。辞めた。
結局私の確定申告処理は、今晩だけでは終わらなかった。
明日やろう。
今日も見かけたカメ君 だんだんボチボチ出現中 あの松ぼっくりは招待状だったのかも。 |
暖かくなると、こうも身も心も軽くなるのかと思うのは、
年齢のせいもあるのだろう。
先生について水彩画を習っている。
「ぼかし」と「滲み」の習得が目的だ。
4月に展覧会を開くことが、半年以上前に決まっている。
出品作の選択などに、皆盛り上がっている今だ。
ノルマは、一人三作品の提出。
私はあと一作がまだ仕上がっていない。
私は一番の新米であるし、よくサボってもいるので気楽である。
どうせなら気楽ついでに、描きたいものに挑戦しようと突然決意した。
春を感じる空気の中、海辺を走って(車で)いるときに決めた。
海と空を描こう、いつも描きたかったんだもの。
白黄色の太陽の下、海がうねり遊ぶ風景。それだけの風景。
そう、まさに私の好きなターナーの絵の世界だ。
「難しいものをえらんだなあ」と先生に言われても、
チャレンジしてしまう私である。
どうなることやら。
母手作りの紙人形のお雛様 超特急でお飾りしました。 |
ちょっとはちゃめちゃな1週間だった。 お盆休みでいろいろなことがお休みになり、 人々の多くは「家族行事」の週だ。 少なくなってはいるが、子供や孫を迎える、 というのが昔ながらのスタンダードな平和風景だ。 特に予定のない私は、絶対に家の整理!絵も描きたい!と思っていたのに、 抜本的...