10年以上前の話だ。
高原へ移住した友人が、都会での一人暮らしが困難になった母親を呼び寄せて、
一緒に住むことになった。
横浜のモダンガールとして名をはせたらしい母上は、
雀荘で日々、くわえたばこで麻雀三昧の生活をしていた。
そんな人が、さわやかでおしゃれで、大自然に囲まれた
別荘族の多い高原に住むことになった。
毎日が退屈で仕方がない母上は、こう言った。
「年寄は皆何をしているのかしら?」
当時はまだ高齢者の領域にはなっていなかった友人は、調査した。
別荘族として生活している人々の中には、高齢者はほとんどいなかったので、
地元民を調べることになった。
「ほとんどの人が、半分趣味で畑をやっていたわ」と友人。
畑ができない人は、何をするんじゃあ!
夫や子供がいる人は、ほとんどが家事と飯炊き、少しの趣味で手一杯かもしれない。
介護もだんだん必要になってくる。
やることは山とあり、自分時間はなかなかない。
反対に夫も子供もいないと、何をやればいいんだろう、になる。
生きがいを求めてしまうので、趣味程度の事では穴埋めができないのだ。
大好きな趣味であっても、時間つぶし的な時もあっても、
人との暖かい交流は生まれても、それだけでも幸せなのだが・・・。
先日も夫を亡くし、子供のいない友人からこんな言葉を聞いた。
老後の生きがいについてテレビでやっていたけれど、
ありふれた答えばかりで笑っちゃった。なんの役にも立たないわ。
寂しいよ。
英語を駆使してボストンで仕事をしてきたエリート女性である。
色々考えないで、日々の足元の生活に喜びを見出す事なんだが。
同じような思いの同年代が、それぞれの範疇の中で「そのときまで」
できるだけ充実しようと生きている。 同志たち。
幸せすぎるのかもしれない。
後で思い出して幸せな日々だったなあと思うのは、
このありふれた日常なのだから。
気付かなかった。 私がゴリゴリ途中から切り取った木 こんなに枝が出ていた。 |
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