3日前に書いた、ドロシー・ギルマンのエッセイ、あるいは自伝についての、続きである。
ギルマンは、離婚し、小説を書いて2人の息子を育て、子供が巣立つと、ニューヨークから
カナダの田舎に移住した。
知人も友人もいない、寂しい田舎の漁村に一人で移住した。
「文明症候群とか社会恐怖症とか」 から恢復したかったためで、
おんぼろの家を買って改造し、土地を耕し、収穫し、執筆する日々を送る。
厳しい自然のなかで、孤独を恐れず、一人で生きる勇気をもちたいと願った自伝である。
私の場合、母の介護が終わり、諸事項の後片付けも終了したとき、気づけば何もする必要がなく、
何も要求されることもない、完全に自分だけの生活の時間が、人生の終焉までずっと続いていた。
自分時間とは、何と自由で贅沢なことだろう ・・・・!!!
でも・・・ もう再出発するにはきつい年齢。 え! ずっと?
その贅沢さに喜びを感じるはずの私なのに、突然恐怖に襲われた。
仕事も友人関係も、外部とのほとんどの関係、きずなは、大変薄れていた。 切ってきた。
薄く切ることが、一番迷わない道だった。
とはいえ、この土地は、故郷であっても、一度外に出た私には、あまり馴染めなかった。
そんなとき、本棚の奥にあったこの本に再会したのだった。
以前の自分を思い出し、今を思った。
エネルギーと個性に満ち、まわりを気にせず、生きていた自分!
まわりも、そういう人々だった!競争は激しかったが、刺激と文化に満ちていた。
今は気づかない間にまわりに気を使い、古い土地の風習に気を使い、あまり目立たないように、
できるだけ隠れて生活していた。違和感がそうさせるのだ。
ギルマンも、移住後悩む。
そこに属していない、ここはホームではない、自分は何をしているのだろう。
自分は逃避しているのだろうか。
そんな経過後、それなりに土地に人々に慣れ親しみ、ある程度隔離もしつつ、
自分らしい生活を守りながら、大自然の中でくつろぎ、力強く生きてゆく。
私も、この土地のいい所だけを見て、自分らしさは貫きながら、慣れていこうとしている。
故郷なのだから、いい所はたくさんある。
昨年、ここを離れて暮らしたことがあった。
いろいろあっても、やはりここが棲家!という思いを持てた。
穏やかな人々が待っていてくれる場所。 いい経験だった。
群れないこと、一人で生きる勇気があれば、やってゆける。
そして、一人では生きてゆけない。
まわり知人、友人の大切さも、心から改めて感じている。
何を書こうとしているのか、支離滅裂になったけれど、書きなぐり、お許しを。
笑って、楽しく、お気楽な日々を過ごしたい。
そして、少しだけ、社会に役にたち、自分も社会参加する時間を持ち続けたい。
追伸: 一人暮らしの人の場合ですよ ~。
同居家族がいる場合は、フ ~ム、もう少し複雑でありましょう。良くも悪くも。
追伸2: 身の回りの小さな幸せをみるように 書いている。成果大だった。
体調心情が元気になってくると、その裏にある炎がくすぶりだす。
 |
ドロシー・ギルマン著 |