我世代は、「片付けなくちゃ、捨てなくちゃ」世代である。
(もうそんなことはしない!とか、もう終わった!という人もいるだろうが)
家の中を整理している時、書類や持ち物を整理している時、
私はダニエル・キースの名作、「アルジャーノンに花束を」を思い出す。
内容を簡単に説明する。ネタバレもあるのでご注意を。
32歳の主人公チャーリー(男性)は、6歳位の知能しかない知的障害者だ。
障害者という負い目を感じながらも、おっとり幸せに生きている。
知的障害者の知能を上げる研究の中で、ある脳手術により、
知能が天才的にアップしたハツカネズミが誕生する。
それが、ハツカネズミのアルジャーノンである。
チャーリーは、その臨床実験を受けることになる。
知能が高くなれば、劣等感もなくなり幸せになれるとチャーリーは喜ぶ。
手術を受けたチャーリーの能力は高まり、天才的IQの人物になる。
幸せになれると思った知能指数の高い世界、それは喜びと共に苦しみにも満ちた世界だった。
そのあたりのドラマが、この物語の核なのだが。ここでは省略します。
やがてハツカネズミのアルジャーノンに異変が起こる。
この手術は完璧ではなかった、アルジャーノンに知能の退行現象が発生し、
元に戻ってしまったのだ。
今や天才的な知能を得たチャーリーは、この手術の失敗を是正するために、
研究員たちを指導しながら、解決に取り組む。
そんな高度な研究ができるのは、彼しかいなかったのだ。
最後、チャーリーはアルジャーノンと同様に、元の6歳の知能に戻ってゆく。
私は映画で見たのだが、最後の方の画面、6歳の知能に戻ったチャーリーが、
子供たちとブランコをこいでいるうれしそうな満面の笑み、無垢の笑顔が忘れられない。
なぜこの話を思い出すのか、前置きが長くなった。
自分の知能が高いうちに、研究員達を指導して解決しようとあせるチャーリーの姿を、
高齢で動けなくなった時に備えて、家の中を使いやすくしたり、
ぱっと荷物をまとめられるようにしておこうとする自分に重ねるのである。
いつタイムリミットが来るかわからない。
家の階段を上り下りしている時、将来、脚が不自由になるだろう自分を思い、
できるだけ重い物は階下に移動しておこう、とか。
そういう思いは、ほんのトキタマで、日常的にはそれほど考えないが。
高齢化の変化は自然体で受け入れようと思う。
基本部分だけはきちんとしておいて、迷惑をかけないようにはしたい。
このコメントを書くために、「アルジャーノンに花束を」を思い出し調べ、
そちらに心がはまってしまった!
私が見た米国映画は「まごころを君に」(原題:Charly 1968年作品)。
学生の時、父から招待券をもらって見に行った。
随分昔見たのに、よく覚えているものだ。
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主演したクリフ・ロバートソンは 1969年のアカデミー主演賞を受賞した。 |