2022年2月28日月曜日

目覚め

 急に暖かくなり、外出時は厚手の上着だけで十分の今日だ。

外は輝き始めているのに、スーパーもお気に入りのパン屋さんも

ガラガラである。

コロナの影響は大きく、春のワクワク感は感じられない。


春のワクワク?

ウクライナーロシア  これ以上犠牲者を出しませんように!

ベトナム戦争のような経験は、二度と起こしませんように。


あしたから3月である。

いつもの散歩道、池を覗くと、

あ!亀がいる!陽光に向かって甲羅干しをしている。

春を実感。 

多くの生物が目ざめる季節だ。


あ!目覚めたのね。おはよ。



アップでみましょう。



もう一匹いました。




2022年2月27日日曜日

国民総動員令

ロシアとウクライナの事を、私はそう詳しくは知らなかった。

今も特別に詳しくはない。

しかし、時々刻々と流れるニュースを見ていると、聞いていると、

ゆったりしたブログを書く気にはなれない。

(私が受けたニュースが、原則・真実であることを前提とする)

ウクライナの一般市民が国を守るために戦う様子、火炎瓶を造っている様子が

テレビに流れる。

国民総動員令も出ている。

女性も混じっている。

命令からではなく、自ら「国のために」と、半分素手で準備している。

国境のないインターネットを通じて、真偽の混在した情報が溢れる。

周りの国々は、国単位だけでなく、個人のボランティアも動き出し、

ウクライナから避難してくる人々を受け入れている。

フランスは31万か所の宿泊施設を確保したとのことだ。


出来るだけ早い時期に、できるだけ死傷者が少なく、

この戦争が終了しますように。


近くの海にて





2022年2月26日土曜日

戦争

 世界中のあらゆる国々は、常に戦争と裏腹の危機をはらみながら、

平和と安全、危機と不安の間を綱渡りしながら維持されている。

小さい規模でみれば、私たち一人一人の家族も同様だろう。

完璧に平穏な国、家庭など存在しないだろう。


しかし、ロシアのウクライナへの素早い侵攻には驚いた。

日本は離れているからピンとこないかもしれないが、

「ヨーロッパは」大騒ぎだ。


ニュースによれば、ロシアとウクライナは歴史的にも、同族に近い関係

同じ民族、今のロシアの文化発祥はウクライナからだそうだ。

また、「事を進めているのは」プーチン大統領の単独指向のようだ。


今、突然こういうことが身近に発生したら、と考えてしまう。

どうやって、何を持ってどこへ行くか?

話し合いもなく、突然軍隊が押し寄せてくるのだ。

TVでみたのだが、押し寄せ撃ち込んでくる彼等に対して

ウクライナの普通の人たちが、自衛団として戦う練習をしている。

立ち向かうのは、無理だろう。

世界の良識の声を上げて、何とか止めさせられないだろうか。

動き出してしまった欲の前では、良識など不可能だろう。

裏で行われているだろう、サイバー上の戦いは

凄いものではないかと想像する。怖い。


今日はこの辺で。

知人宅に、お雛様が飾られていた。
平和な日本。






2022年2月23日水曜日

花粉が飛ぶ前に

ふと気になって、着物のたんすを開けた。

20代30代の頃、茶道を習っていたのと、

着物を着るのが好きだったので、ちょっとだけ着物を持っている。

着物は、母がいたので着ることができた。

着物を縫い上げ、着付けし、私の着物姿を褒め、後始末もしてくれた。

母からしっかり教わろうと思った時には、手遅れだった。

私は着せてもらった時の事を思い出しながら、

そしてYouTubeの力を借りて、未熟ながら自力で着れるようになった。

ほ~んのときたま着る。


たんすの中は、今は似合わないだろう私の若い頃のものが多い。

それでも、帯やショールを工夫すれば、今でも着れるはず、

誰も着てくれる人はいないし、売っても二束三文らしいので、

それなら一度でも着てから始末しよう、

そう思いつつ、年月が過ぎている。

膝痛の今、足袋と草履で出かけられるだろうか?

その前に、これからの高齢生活、着物着て出かける所ある?

家にいる時はなかなか忙しいので、着物でないほうが動きやすいし。


つまり、もう着物はいらないのだ。

分かってはいるが、捨てられない。

それなのに、あまり着れもしないのに頂いたり購入したものもある。

私自身の着物のほかに、家族の着物もあるし・・・。


皆、本当に素敵! と着物好きな私はうきうき。 

自分は、洋服より着物の方が断然似合うと思う。

洋服は、様々な形のデザインによって、体型をいかに魅力的に見せるかである。

着物は、単一デザインで、その形の中に自分の体を包んでいく。

着物は形ではなく、布の質と色が勝負だろうか。


長くなりました。

ふと開けたたんすの中から、湿ったような匂いがした。

大変!と思い、虫干しをした。

花粉が飛び出したら、干せない、急げ。

全部は無理なので、メインのものだけだが、

たんすの中の棚を陽に干し、着物にも風を通した。

まだまだ、未整理だらけだ。

着もしない着物の保存にたくさんの時間を使っている。

でも、放棄できない私だ。


追加

私の着物は、普通の着物です。

「百万以上したの」なんていう着物ではありません。

ウールも木綿も少しはあります。

一番憧れるのは、普段着をちょっと崩して着ることです。

週末着物とかできたらなあ ♬


古ぼけたものばかり、もうやめたら!何て言われます。

陽光で乾燥と消毒
















赤ちゃんの時着ていた手編みのセーター
捨てられない。
両手の平に収まる大きさ。



















手編み。着たのを覚えている気が。
捨てるのは気が重い。








2022年2月20日日曜日

筆箱

 小中学生の筆箱は、おもちゃ化して色々なキャラも満載、

楽しいもので溢れている。

高校生がどんな筆箱を使用しているかは、垣間見るチャンスがないので、知らない。

おおむかし、私が小学校に入った頃、筆箱はセルロイドだった。

ピンク色のセルロイドのふたには、かわいい女の子の絵があった気がする。

電動の鉛筆削りはまだ一般的にはなかった。

寝る前に筆箱をテーブルの上に出しておくと、父がナイフで削ってくれる。

父は、やりがいを感じて楽しんでいた気がする。

朝、ピカピカに削られた鉛筆の入った筆箱をランドセルに入れて、

学校に行ったっけ。

やがて、妹も小学生になり、朝起きると、2つの筆箱が並んでいた。

父の削り方は個性的で、今でも目に浮かぶ。

他の鉛筆と混じっていても、すぐにわかった。


新しいもの好きな都会在の叔母が、電動鉛筆削りが出るとすぐに求め、

家にも送ってくれたので、父の鉛筆削り期間は、

そう長くはなかった。


一時シャーペンを使っていたが、やはり鉛筆は使いかってがいい。

整理をしていたら、中学生時代に使用していた筆箱がでてきた。

整理しながら、小学生の頃のことを思い出していた。

日日是好日である。

中学生の頃使っていた筆箱
その後母が使っていたようだ。
甥の名前が彫られた、ちびた鉛筆がでてきた。


















私が現在使用している筆箱
筆立てにもなる。






2022年2月19日土曜日

野田さん

私は新聞を土日の朝刊だけとっている。

毎日とると、たくさんの広告紙と新聞紙がすぐに溜まって大変だ。

読むのは私だけだし、ゆっくり読む時間は毎日は取りにくい。

一度デジタル紙に変えてはみたが、紙はたまらないが、どこでも読めるが、

読み切れる量ではない事は変わらない。

また、紙面以上の記事や興味ある読物があり、それらを読まないで済ますのは

もったいない気がしてしまう。

そこで配達店の提案により、週末だけとることにした。


ニュースや事件はほとんどわかっているので、それ以外を読む。

興味のある情報は、すぐにネットで検索して調べる。

新聞を読むときは、いつもタブレット片手である。

こんなの毎日やっていられないが、週末のこの時間だけで、多くの情報を得る。

今日はポットキャストというネットラジオの存在を知ったので、

早速アクセスしてみた。昔からあったのだと思うが、知らない。

好きな音楽を選択して流し続けてくれたり、なかなかいい。

ネットを色々利用して情報交換できる人が、周りにほとんどいないので、

貴重な情報源だ。


最近、NHKプラスというのにアクセスしてみた。

最近のまたは以前のNHKの番組(BSは別)をネット経由で見られる。

ネット経由と言うのは、自分が好きな時間にみられるのでとてもいい。

少し前に放映した「野田ともうします」という番組の

一挙公開をしていた。

思わず見だして、はまってしまった。

そっくりの友人がいるのだわ (笑)

原作は漫画











野田役の江口のりこさん





2022年2月18日金曜日

言葉に出さない言葉

受ける言葉によって、傷ついたり幸せになったり、気持ちを制御されることがある。

一度口に出した言葉は、取り返せない。


昔の映画「卒業」(アメリカ映画)の主題歌、
The Sound of Silence の詩がとても好きだ。
歌っている、サイモンとガーハンクルのサイモン作詞。
映画の冒頭部分に、この主題歌が出てくる。
主人公が大学を卒業して帰省する画面だったと記憶する。

「The Sound of Silence」という言葉に、とても魅力を感じる。

次の歌詞も好きだ。
People talking without speaking
People hearing without listening

人々は話している 喋ることなく
人々は聞いている 耳を貸すことなく

通常私たちは、一番大切なこと、本当は言いたいことを、
口に出さないようだ。
話さない内容にこそ、一番の「心」があるのかもしれない。
口に出さなくても、多くの感情は伝わる。

感情を下手に口にすると、正確には表現できないこともある。
「言わぬが花」「沈黙は金」という言葉もある(笑)。


いろいろあるが、
あまりペラペラ話さないほうが大人なんだろう。

フト外を見ると、
ポッカポッカ雲が漂い踊っていて、童話の中のよう。
遠くの山には雪がうっすら。

2022年2月17日木曜日

春めき気配日の雑談

 昨年作成したマイナンバーカードに、ポイントが付く。

「まだポイント申し込んでないの?」と言われて、ポイントゲット処理した。

有効期間は(たしか)3月末日とのことで、スマホから申し込んだ。

2万円使用すると5000円のポイントが付く、つまり戻ってくるらしい、

しかし今一、はっきりしないこともある。

ポイント還元できるかできないか不明なまま、

ポイントを少しでも使ってみよう、と買い物をした。

あまり必要ないものを買ってしまったかもしれない。


今乗っているママチャリ、膝痛なども時々あるので、

高齢者にも安全な自転車に変えようかと検討していた。

一般にそういう場合は「電動自転車」または「三輪車」にするようだ。

現在は、かっこいい「三輪車」がたくさんでているのには驚いた。

でも、でも、いやだ~!

そこまで年寄っぽくしたくない、と見得を張る私。

かといって電動自転車はいらない。坂道もないし運動にならない。


そんなことを思いながら、夕方いつものママチャリに乗って、

どこが不安なのか、不安定なのかを試した。

検討して調査した結果、サドルの高さを調整すればいいかもしれないと思った。

背は縮んだし、またがる時も足を上にあげる動作が困難な時がある。

調べて調整してみよう。

低めで安定性のいい、ちょっとおしゃれな婦人用自転車にしてもいいかも。

今のは、超ママチャリなので。

三輪車なんて・・・いや!

交通量が増えている。

現実には、高齢者は自転車には乗らないほうが安全だ。

かといって、いずれは車の運転をやめるだろうから、

自転車は重要と思う今。


どことなく春めいた気配がするのだが、風は冷たい日々。

見上げるとたくさんの松ぼっくり。





2022年2月15日火曜日

読書

 コロナのワクチンを打った次の日、つまり昨日、夜微熱が出た。

37.3度位だったが、平熱の低い私には「きたか!」という所。

早めに寝た。

日中も、ほぼ何もしないで過ごした。

おかげで、久しぶりに本を読んだ。


いつも本を読みたい、読みたい、と思っている。

目の前に数冊、「読みたい!」本がいつも並んでいる。

Twitter や Blog のお気に入りの記事は、軽くて短いからよく読むのに、

読書というと、なかなか集中できる時間がないのです。


ワクチン接種と微熱のおかげで、やっと読みたかった1冊が読みあがった。

英国の人気推理作家・アンソニー・ホロヴィッツ の「その裁きは死」。

彼の書いた「カササギ殺人事件」は、評判通り素晴らしい作品だった。

そこで別の作品を読みたいと思っていたが、やっと読めた。

文学作品ではないので、速読を楽しむという感じ、堪能した。

ロンドン中心街が舞台なので、それも楽しめた。


本を一番たくさん読めたのは、大学や会社勤め時代、

自宅からの長い通勤時間の間だった。

若い時代、自立して暮らしたり、自宅から通ったり、混在していた。

本を読むという事は、作者の選別した言葉や物語りを通して、

作者と対話することでもある。

純文学とそうでない作品(たくさんのジャンル)は、表現は異なり、

重さや軽さはあるが、作者の書くという力、才能、は変わらないと思う。

読書といっても、純文学とベストセラー作品とでは、作家の収入は雲泥の差がある。

純文学者の収入は微小である。

すぐれたものがベストセラーになるとは限らない、全く限らない。

ホロヴィッツ は、そのあたりも皮肉りながら書いている。

登場人物のメインに、作家がいるので、大変現実的で的をえている。

そういう皮肉の味が好きだ。

楽しかった!

2018年の作品
英国推理小説の主流を受け継ぎ
大変面白かった。








2020年の作品
完読。





2022年2月13日日曜日

3回目のワクチン接種

 3回目の集団接種を受けた。

接種はこれが最終回でありますように。


接種場は静かで整然として、全てが効率よく進んだ。

友人の100歳の母上も、昨日この会場に友人と一緒に徒歩で(15分位歩く)行き

接種を受けた。感嘆する。


早く日常が戻りますように。

ワクチン接種会場 in 我町
歴史的な状況の記念にパチリ









え!何なの?

2022年2月12日土曜日

ともだち

 スマホの呼び出し音がする。

夕食の支度の手を止めて画面を見ると、最近施設に入った友人からだった。

施設に入る前だったら、どうしたのかしら?と不安になるが、

今は安心して電話に出ることができる。

「私ね、どうも施設に入ったらしいの」と、友人のにこやかな声。

「そうですってね。居心地はどう?」

今まで、何度も同じやりとりがあった。そのことは言わないで、話を合わせる。

私は舞台女優になる。

こういうやりとり以外は、いつもの聡明な仲良しの友人だ。

それほどの年齢でもないのに、認知症になった。


ちょっとした相談事をしたら、適格な反応を得た!

まだ「この友はいる!」と実感できる。

記憶はまだたくさんある。

あるうちは、その人のままだ。

コロナが収まったら会おうね、といつもの会話で電話を切る。

元気でいましょうね!



なあに?




2022年2月11日金曜日

被害者になった

先日、スーパーの買い物を終えて駐車場の車にもどると、

私と同年代の女性と駐車場の整理員さんが、私の戻るのを待っていた。

説明によると、その女性は指示された駐車位置に停車しようとバック操作中に、

指示位置の隣に停車していた私の車の前部分に、かなり激突したとのことだった。


私は車に乗ってはいるが、それほど神経質な乗り手ではない。

汚れを嫌いピカピカを保つよりは、楽しく気楽に乗りたいほうだ。


かなり激突したらしく、車屋さんに見てもらって欲しいとのこと。

ちょっと見た所、異常はないようだし運転に問題ないし、別にいいのに、と思った私。

今日、知り合いの車屋さんに見てもらった。

フロント・バンパーとフロント・グリルに、傷があることが判明した。

この手の傷は、その部分を丸ごとお取替えの必要があるそうだ。


私は被害者なのに、車屋さんに行ったり、説明連絡したり、

先方の人(とてもいい方だ)の負担が少ないようにと

心配りしちゃったり、被害者もなかなか大変である。

今日は十分働いた気がする!フーッ!


昨日の続き
そして松ぼっくりの先には・・・
橋の欄干のくぼみへ導かれたア
何?







2022年2月10日木曜日

挑戦

 北京五輪 男子フィギアスケートに見入ってしまった。

今回も、ダントツの成績で出場する羽生結弦。

しかし、いつまでも王者であり続けることはできない。

特に勝ち負けがはっきりしている個人戦のスポーツは、

残酷な位その終焉は明白だ。

羽生結弦は、どういう終わり方をするのだろう。

国民からの最高栄誉も得たし、人々の感動や賞賛はもう充分わかっているだろう。


今回見ていて、羽生結弦はもう勝ち負けはどうでもいいように思えた。

ただただ求道者のように、未完成の「4回転半ジャンプ」を極めたいようだ。

とはいえ、他の技術・演技も素晴らしく、スタイルも容姿も1番いい。

最初のミス(氷の穴)がなかったら、メダルは確実だったろう。

自分を冷静に見つめて、「よく頑張った」

「一所懸命がんばりました」と言い切った羽生は素晴らしい。

あなたの努力は、多くの人に力をくれたのよ。


五輪競技は、今回あまり見ないようにしているが、

4年に一度の一瞬のために、体力の限界に挑戦し続けてきた若者たちの

努力に心を動かされ、力をもらう。

運動バカと言うにはあまりに真摯で、そんなことは言えない。


宇野選手は、「人生の最終目標はスケートではない。目標への過程です」と言い、

かわいい鍵山選手は「うれしい」と。

皆、自分の気持ちを素直に言える国でよかった、と思う。

「挑戦」っていいな。


とはいえ、オリンピックのあり方、やり方には多くの疑問がある。


歩いていたらその先に。
何の意味?










丁寧においてある松ぼっくり。何??






2022年2月9日水曜日

電話

 友人や知人との連絡は、最近は Line 経由が多い。

電話と違って、相手の事情を気にせずに、言いたいことを簡潔に伝えられる。

余計なことを話さなくても、聞かなくても済む。

雑談したいときは、音声通話も使える。しかも無料だ。


知人の中に、スマホを目のカタキにしている人がいる。

電子レンジもずっと拒否していたが、最近は使っているようだ。

使わないのは自由だが、どうぞけなさないで、

IT化する社会への憎悪感をまき散らさないで。

ただ今後ますますIT化していく中で、困ることも多いだろう。

そこは、「国が全力を挙げてヘルプ」してあげてください。


今日は同世代の女性から、3件の電話を受けた。

強い言い方をすれば、3人とも、嬉しそうにまくしたてて一方的に話し、

こちらが言葉をはさむ余地がない。

昔のように、たくさんおしゃべりする人々がまわりにいるわけではない。

だからそうなっちゃうのよね。

私も気を付けなければ、と思った。


庭の沈丁花
まだ開花しないがつぼみがぎっしり!


2022年2月8日火曜日

アルジャーノンに花束を

我世代は、「片付けなくちゃ、捨てなくちゃ」世代である。

(もうそんなことはしない!とか、もう終わった!という人もいるだろうが)

家の中を整理している時、書類や持ち物を整理している時、

 私はダニエル・キースの名作、「アルジャーノンに花束を」を思い出す。


内容を簡単に説明する。ネタバレもあるのでご注意を。

32歳の主人公チャーリー(男性)は、6歳位の知能しかない知的障害者だ。

障害者という負い目を感じながらも、おっとり幸せに生きている。

知的障害者の知能を上げる研究の中で、ある脳手術により、

知能が天才的にアップしたハツカネズミが誕生する。

それが、ハツカネズミのアルジャーノンである。

チャーリーは、その臨床実験を受けることになる。

知能が高くなれば、劣等感もなくなり幸せになれるとチャーリーは喜ぶ。

手術を受けたチャーリーの能力は高まり、天才的IQの人物になる。

幸せになれると思った知能指数の高い世界、それは喜びと共に苦しみにも満ちた世界だった。

そのあたりのドラマが、この物語の核なのだが。ここでは省略します。


やがてハツカネズミのアルジャーノンに異変が起こる。

この手術は完璧ではなかった、アルジャーノンに知能の退行現象が発生し、

元に戻ってしまったのだ。

今や天才的な知能を得たチャーリーは、この手術の失敗を是正するために、

研究員たちを指導しながら、解決に取り組む。

そんな高度な研究ができるのは、彼しかいなかったのだ。


最後、チャーリーはアルジャーノンと同様に、元の6歳の知能に戻ってゆく。

私は映画で見たのだが、最後の方の画面、6歳の知能に戻ったチャーリーが、

子供たちとブランコをこいでいるうれしそうな満面の笑み、無垢の笑顔が忘れられない。


なぜこの話を思い出すのか、前置きが長くなった。

自分の知能が高いうちに、研究員達を指導して解決しようとあせるチャーリーの姿を、

高齢で動けなくなった時に備えて、家の中を使いやすくしたり、

ぱっと荷物をまとめられるようにしておこうとする自分に重ねるのである。

いつタイムリミットが来るかわからない。

家の階段を上り下りしている時、将来、脚が不自由になるだろう自分を思い、

できるだけ重い物は階下に移動しておこう、とか。


そういう思いは、ほんのトキタマで、日常的にはそれほど考えないが。

高齢化の変化は自然体で受け入れようと思う。

基本部分だけはきちんとしておいて、迷惑をかけないようにはしたい。


このコメントを書くために、「アルジャーノンに花束を」を思い出し調べ、

そちらに心がはまってしまった!

私が見た米国映画は「まごころを君に」(原題:Charly  1968年作品)。

学生の時、父から招待券をもらって見に行った。

随分昔見たのに、よく覚えているものだ。


主演したクリフ・ロバートソンは
1969年のアカデミー主演賞を受賞した。







2022年2月7日月曜日

昨日は日曜日

  日曜日、ゆっくり一人で過ごす。ヌクヌク。

4年も前からの作りかけのバッグを、今日こそ仕上げてしまおう。

今日のように外が寒い日は、ホットチョコレートでも飲みながら、

針と糸を使うのもいいものだ。 


夜友人から電話が入る。

家族のいる人は、家族の問題が大変だ。

介護、病気、認知症。なかなか自由にはなれない。

一人だと、孤独ではあるが自由を得られる。

人の環境はそれぞれだ。

必要な場合には、助け合ってやっていこうと思う。


この地は東京からそう遠くはないこともあり、東京からの移住者が増加中のようだ。

家のすぐ裏は海が広がる。

コーヒーを飲みながら読書もできる環境だ。

私は気候と環境を考えると、もう東京には住めない。

しかし若いうちは都会に出て、切磋琢磨した方がいいと私は思う。


高齢になってからの移住、まして一人住まいの移住は

避けた方がいいと思う。


家のすぐそばの海。


 


2022年2月5日土曜日

篠田桃紅

「日本の文化人の中で、誰が一番きれいだと思う?」

と友人たちと話したことがある。

私は即座に篠田桃紅(しのだ とうこう)さんと答えた。

私が桃紅さん自身の姿を画像でよく見るようになったのは、

随分ご高齢になってからだ。

こんなにご高齢になられても、何という美人!  

歳を重ねて成熟さが加わり、その美しさは何物もたちうちできない。

ただの美しさとは異なるのだ。

そしてまとわれた着物姿の素敵なこと!

ご高齢ということもあって、帯は半幅で軽く結ぶ程度のお召し方だったと思う。

それがまた素敵だった。

着物は、私には想像もできないような高価なものだと思うが、

それを羽織るように、気軽に召されている。

こんなに美しく年齢を重ねられるなんて、何と素敵なんだろう。

104歳で亡くなるまで、描き続けられた。


自由を求め、自立して生きた大正生まれの強い女性。

その作品は、洗練の極致、強さの極致に思える。


先程偶然テレビで見て、その作品の素晴らしさと彼女の強さに再度感動した。

説明担当の着物姿の元アナウンサーは、ちょっと場違いに思えて残念だった。


平凡な生活の中で、思い出とともに、久し振りに精神を高揚させていただきました。


今日も元気に生きました。
おやすみなさい。


2022年2月4日金曜日

立春

 パソコン教室のガラス戸から、外に目をやる。

立春の淡い日差しの中、遠くの冬山には雪がうっすら積もっている。

室内の換気をよくするために戸を少し開けてあるので、

講師も生徒もコートにくるまったマスク姿で、画面を凝視している。

室内は静寂に満ち、集中感満載でどこか楽しそうだ。


私は少し前に受けた電話の事を考えていた。

友人の若い親族の急死の報。

ここに書くのは辛いし申し訳ないのだが。

最近は遠くに起こることではなく、他にも身近で経験している。

長いコロナ期間は、ゆっくりとしかし着実に

ボディブローのようにじわじわと私たちを襲う。

ちょっと風穴を開けられれば、と思う。


もういいのよ、ゆっくりお休みなさい。

もういいのよ。

もういいのよ。











2022年2月3日木曜日

今日は節分

節分

伝統文化に疎い私だが、豆まきだけは忘れない。

家の中に、そして外に向かって豆をまく! キャーキャー鬼を追う!

豆まきは子供にとって、サンタさんに並ぶ、動的な思い出の行事である。

だから絶対に忘れない。


今は家に一人、それでも大きな声をだして豆をまく。

今日はその前に掃除機などかけてしまった。気合がはいっている。

「鬼は~外!」「福は~うち!」

家を開け放してまく。

私の声に、父の声、母の声、妹の声が重なる。

私も子供に返っている。


はい、厄はお祓いしました、新年の無病息災、幸せをお願いしました。

保育園のお帰りバスとすれちがった時、子供たちの頭には

自作の様々な「福」や「鬼」のお面が踊っていた。

元気ね!


恵方巻を始めて食べた。

何でも商売にすることに反発を感じていたが、

太巻きが大好きなので、誘惑に負けてしまった。

はい、もちろん一本食べきりましたよ。何か?

(特大のではありません。小さくはないけれど・・・)


母がデイケアで初めて作ってきた
節分の季節のはり絵作品。
デイに馴染んでくれたようで、嬉しくてとってあった。








2022年2月2日水曜日

手作りリュック

 友人が、とても素敵な布製バッグをたくさん作って持っている。

私は不器用なのに、手作りが大好き。

大きめのバッグを教えてもらって作った。

軽くて素敵で、本当に今の生活にぴったり。

ブランド物のバッグなど、不要である。


味を占めて、スケッチに行く時のリュックを作ることにした。

少し作っては時間があいたが、やっとできた!

次回のスケッチ会でおひろめしよう。

楽しみ!

かなり雑に作ってあるのだが、それでもうれしい。


うふふ ☆
もう少しあっさりした柄にすればよかったけれど、
ま、いいわ ♬


2022年2月1日火曜日

にあんちゃん

 

時々心に浮かぶ旋律がある。口ずさむこともある。

  ♬ ふ~るさとしらないわたしで~も、・・・

  ♬ オシロイバナにひもつけて~

NHKラジオで放送されていた、「にあんちゃん」というドラマの主題歌だ。

ふと思い、深い考えもなくネットを検索してみた。

びっくりした!

これは私が小学校の頃聞いていたラジオドラマで、ずいぶん昔の事。

それなのに、たくさんのたくさんの記事が掲載されている。

最近書かれた記事も多い。

それほど多くの人の心をうち、今も心に残っているのだろう。


ドラマが放送されたのは、1959年1月15日から2月27日まで、

夕方6時台に子供向けに放送された(Wikipedia)。

私はそれを聞いていたのだ。

子供向けとはいえ、年齢的にすべては理解はできなかったろう。


炭鉱の町を舞台に、両親を亡くした韓国人の4人の兄弟姉妹が、

貧しさの中で思いやり、一生懸命生き抜いてゆく。

その生活の様子を、小学生の末娘・末子さんの日記をもとに作れらたドラマだ。

その日記は「にあんちゃん」というタイトルで出版され、当時ベストセラーになった。

小学生だった私は、生まれて初めて自分のお金で、

この「にあんちゃん」を買った。

感動したのだろう。

初めての購入本ということもあり、今も大切にとってある。

映画化され、家族全員で見に行った記憶がある。

「かわいそうに。えらいね~」と母は泣いていた。


日本中がこの韓国籍の兄弟姉妹を、暖かい感動で包み応援した。

大変聡明な兄弟姉妹だったようで、立派に成人されているようだ。


年月を経た現代、同じように困窮しているたくさんの子供たちがいると思う。

なんとかできないだろうか?と思う。思うだけの自分が情けない。


「にあんちゃん」もう一度読んでみよう。


初めて自分で買って大切にしている本。
ボロボロになってしまったけれど。







お盆休み

ちょっとはちゃめちゃな1週間だった。 お盆休みでいろいろなことがお休みになり、 人々の多くは「家族行事」の週だ。 少なくなってはいるが、子供や孫を迎える、 というのが昔ながらのスタンダードな平和風景だ。 特に予定のない私は、絶対に家の整理!絵も描きたい!と思っていたのに、 抜本的...