クリスマスのシーズンがきた。
西洋人は、お正月よりクリスマスがメインだ。
そういう知人たちとの、カードやプレゼントのやり取りが忙しい季節だ。
英文の手紙も添えねばならないので、つい面倒になってしまう
(翻訳ツールよありがとう)。
とはいえ、以前に比べれば、本当に少なくなりました。
海外とのクリスマスのやりとりの起源は、中学1年生の時だ。
中学生になって英語を学び始めた時、楽天的な私は
もう英語をマスターしたような気分になった。
これで世界中の人と、直接やり取りができるんだ!と。
中学1年の初夏には「郵便友の会」を、この地にさっさと設立した。
私は興味が湧けば、それが人物であろうと組織であろうと、大変積極的に行動する。
当時はメールなどなくて「文通」の時代だった。
郵政省が中心になり、世界の子供どうしが文通でやりとりして友達になるという運動をしていた。
私はバーバラさんという2歳位年上のオーストラリアの女の子と文通を開始した。
その文通は10年以上続いた。私はすっかりオーストラリア通になっていた。
お互い20代終わり頃まで、文通は続いた。
やりとりした写真もたくさんある。
彼女からは学校の制服姿、家族の結婚写真、彼女自身の結婚式、
そして生まれた可愛い男の子の写真。
結婚式の衣装は手作りで、その布の切れ端も送ってきたっけ。
私は彼女への手紙を日本語で書く、どんどん書く。
父がそれを英語に訳し(父は絶対に楽しんでいた)
私たちおしゃべりな女の子は、膨大な量の文通をしていた。
クリスマスは、お互いにプレゼント交換の時だった。
色々な部分で、「手作り」「心がこもった」「義理や無理のない」
素朴ともいえるうれしいやりとりだった。
彼女から送られたもので覚えているのは、
「手作りのテーブルクロス」とか「手作りの帽子」そして色々なアクセサリだった。
私は「赤毛のアン」の世界だわ、と思った。
私は英文のカードの書き方や、海外へ発送する贈り物のあれこれを、
彼女のおかげでたくさん経験できた。
それから何十年、私はこの季節、いつもクリスマスカードやプレゼントを
海外に送り、私も頂いている。
今年のプレゼントのやりとりの相手は、一人だけだ。
今年は簡単だわ!とほっとしたのもつかの間、
今年から、「海外への輸送システム」が変わり四苦八苦。
やっと終了したところだ。
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今年から、海外になにかを送るには、 IDを作り登録する必要がある。 |
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今年の贈り物 |