高校や大学に受かった生徒、働き口が決まった生徒など、新たな生活のスタート時期でもある。
1月から教え始めて(以前少し経験したが)、約3ヶ月。
レッスン内容は、生徒の生活目標に沿って行うべきだと、いまさらながら実感する。
いくら話せても、自分の住所氏名を日本語で書けなければ、銀行で口座も開けない。
ある程度の漢字が読めないと、町の中を歩いていても、看板や店を理解できない。
教科書だけに沿って教えることはない、と、先輩を参考に思い始めた。
まだまだ私はヨチヨチ歩きの日本語の先生だが、新しいことを始めるのは楽しい。
気がつくと、春の訪れとともに、私の虚無感や絶望感は薄れはじめ、
駆け足で前進し始める自分がいた。
少々の神経痛を引きずりながら(ここがくやしい)。
まだまだあわてずに、あせらずに過ごそう、あと一歩!
ブログ書きを楽しんではいるが、「私はいます。しあわせ」的。
自重している。
![]() |
強い日差しの中で燃えていた。 |
楽しむことが一番ですね。応援してます。
返信削除日本語の先生業 着実に修行を積んでいる感じがします。
返信削除生徒の気持ちになりきってますね~~。
今 我が家にいる友人、もう30年も前から 日本語の先生をしているベテラン! 彼女は 本当に穏やかで やさしくて・・そんな人が 一度他の日本語の先生に食ってかかって 壮絶な喧嘩をした事がある・・と言っていた・・。
なぜか?
それは その喧嘩の相手が 全くもって 日本語を習う生徒の気持ちを無視した授業をしていたからだ・・。
生徒の事を思うばかりに 黙ってはいられなかった・・と・・。
日本語の先生は 生徒の気持ちを一番に思うのが 重要なんですね~~・・。